わずかな、せいぜい長くて百年ほどの現世なんて、永遠の過去世と無限の来世に
はさまれたサンドイッチのハムよりも薄い時間に過ぎないのだと思えば、そんな短
い現世であくせく生きている人間の命は、巨いなる者の目から見ればわれわれ人間
の目に映る蟻の生よりも、はかないものなのかもしれません。
瀬戸内寂聴
夢は喪失を受け入れるていくための儀式のようなものだ。
夢を見るということでようやく、人間はある平衡をとることが出来る。
人にはそれぞれ特権的な夢がある。
私は自我狂という言葉が好きです。それは決して独善ということではなしに、
自分自身に対するモノマニー、つまり思い込みです。特に芸術家はそれなしに芸術家
として絶対に立ってはいけません。つまりそれは個人個人の感性、情念の問題、
つまり個性の問題です。
石原慎太郎
わたしはいつも人の歩む筈の軌道からはみ出し外れてしまうのでした。
自分では制御出来ない内なる余剰なものが、軌道を飛び出させてしまうのでした。
瀬戸内寂聴
「ナタナエルよ、君に情熱を教えよう。
行為の善悪を判断せずに行為しなくてはならぬ。
平和な日を送るよりは、悲痛な日を送ることだ。私は死の眠り以外の休息を
願わない。私の一生の満たし得なかったあらゆる欲望、あらゆる力が私の死後
まで生き残って私を苦しめはしないかと思うと、ふと慄然とする。
私は心の中で待ち望んでいたものをことごとくこの世で表現した上で、
満足して!・・・あるいは絶望しきって死にたいものだ」
アンドレ・ジッド 『地の糧』
独善、誤解、孤立、徒労、悲痛・・・それらすべてを良し!とするのか?
そう思い込むべきなのか?青春時代とこの晩年とでは、その意味合いが
あまりにも重すぎる。
美しいもの、けなげなもの、可愛いもの、または真に強い勇ましいものに感動して
思わず感情がこみあげて、涙があふれるなぞというのは若さの証しです。ものに
感動しないのが年をとったということです。
瀬戸内寂聴