・・・それは敗戦・占領以後、七十有余年にもわたって、自分の国を自分で守ることすらせず、生命と価値を他国にあずけ、経済的繁栄に現を抜かしてきた戦後という時代であり、「自由」や「民主主義」という言葉の定義もなく、「平和国家」なる虚妄を信じようとしてきた欺瞞的な日本人に対する、根本的な批判(クリティーク)である。・・
(富岡幸一郎 追悼 西部邁さん)
「ラジカルな人で、『デモクラシーは危険だ』とよく言っていたが、そんなことを言えるのは日本に彼しかいなかった。『対米従属はインチキだ』と、安全保障政策や国家のあり方について危機意識を常に持っており、貴重な存在だった。考え方は違うが、人間としては信頼していた。『死ぬ時は自殺する』と話していたが、自分で自分にけりをつけたかったのではないか。大変残念だ」
(田原総一朗)
「左翼」「右翼」と言った狭い見方ではなく、
人間を見よう。
日本人としての自分を見つめよう。
結局は、彼の言う「欺瞞的生き方」をしてきた自分を恥じる。
「諸君よ。紺いろの地平線が膨らみ高まるときに、諸君はその中に没することを
欲するか。じつに諸君はこの地平線におけるあらゆる形の山嶽でなければならぬ。
宇宙は絶えずわれらによって変化する。誰が誰よりどうしたとか、誰の仕事が
どうしたとか、そんなことを言っているひまがあるか。
新たな詩人よ。雲から光から嵐から、透明なエネルギーを得て、人と地球によるべき
形を暗示せよ。新しい時代のコペルニクスよ、余りに重苦しい重力の法則から、この
銀河系を解き放て。衝動のようにさえ行われるすべての農業労働を、冷たく透明な
解析によって、その藍いろの影といっしょに、舞踏の範囲にまで高めよ。
新たな時代のマルクスよ、これらの盲目な衝動から動く世界を、素晴らしく
美しい構成に変へよ」
宮沢賢治
否応なしに引き裂かれるような、つまり受動的な別離ほどショックなものはないだろ
う。薄ぼんやりとした記憶の中の母との別離が、まさしくそれだったわけだが・・・
その後の僕ときたら、能動的に自らの意志で、言ってみれば軽々しく別れを決行して
見せ続けた。相手の、あるいは相手側の、迷惑や混乱や戸惑いを省みることなく。
表面上、受動的立場にあった時ですら、勇ましさを装って悪役側に回って見せた。
自分を虐めることが自分を成長させる〜というような身勝手な論理によって、人様
を傷つけていってしまったのだ。
「どうしてそんなに苦しい方へ苦しい方へ、あなたは行くの?」
彼女の叫びは悲痛だった。その背景にある優しさはまぶしい限りのものだった。
あのまま飛び込んでいたら、どんな人生の展開がまっていたのだろうか?
同時に二つの道は歩めない。