人間は一生のうち逢うべき人には必ず逢える。
しかも一瞬早過ぎず、一瞬遅過ぎない時に。
森 信三
昔、「ねじれの位置」なるものを学んだ時、数学的なこと以上に
心理的な問題として受け止めたのでした。
意見の違いとか、相性の問題とかいう次元の問題ではなくて
もっと神秘的な意味合いで受け止めたのでした。
〇書いてさえ虚しいのに、書かなかったら、もっと虚しい。
つまり虚しさも感じないほどむなしい晩年になる。
自分の書いたものを、いつまでも握って出さずにいると、
精神的な便秘になる。それ故次への展開がきかない。
ところが出すとかえって執着がなくなる。だから思い切って
出すんですね。たとえ人からどう言われようと、かまわんじゃ
ありませんか。結局は自己の執着を断つために出すんですから。
森 信三
〇世の中は、目に映らない場所で、誰かが誰かのためにひたむきに、何かを
しているものだ。目を少し大きく見開けば、そんなことであふれている。
今は見えずとも、のちにそれを知り感謝することもあるのだろう。
己のしあわせだけのために生きるのは卑しいと私は思う。
〇私が言っている「追いかけるな」というのは、いつまでもつまらぬものに
こだわるなという意味合いの方が強い。
〇理不尽がまかりとおるのが世の中だ。
〇怒りはその人を成長させたり、新しいものに挑んだりする精神を養う。
〇人を悪く言うことは、空にむかって唾を吐いているのと同じです。
※「流言は智者に止まる」(洵子)
伊集院 静
吹いてくる風が頬や胸板にあたるなら、
むかい風に立っていることを学びなさい。
目の前に登り坂と下り坂があったなら、
一度は(いや二度でも三度でも)
自分から選んで登り坂を歩きなさい。
登り坂を歩きながら、
少しだけ息苦しさもある中で、
もう一歩、いやもう一歩登ってみましょう。
きっと何かが、そこにあるかもしれないから・・・。
私たちのいきていく道は、
やってみなければ見えないもの、
出逢うことがないものがたくさんあります。
伊集院 静
「雰囲気だけで生きていては、必ずしっぺ返しが来る」
スマホを初中後、覗き、さわっている人が、私には、その雰囲気から
離れるのが怖いだけのように思える。
伊集院 静
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自分の希望、自分の声・・・確立しなさい
スマホ操作に長けていることが、己の自慢とは情けない
見極めよ、事の真偽、裏表
〇世々の道に背くことなし
〇身に楽しみをたくまず
〇我れ事において後悔せず
〇身一つに美食を好まず
〇物事に数奇好みなし
〇神佛を尊みて神佛を頼まず
〇何れの道にも別れを悲しまず
〇居宅に望みなし
〇老後財宝所欲に心なし
〇自他ともに恨みかこつ心なし
〇道にあたっては死を厭わず
狂気の時代には、正気なことを言う者が、狂気じみた人間にされる。
主義、主張を言い合う前に、まず一人間としての素直な心を確立すべし。
そうとは思わないかい?
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「人類が生き残ること・・・これがすべてに優先する。文明も繁栄も、
自由主義も社会主義も、それは人類の生存が前提である。人類の未来が
あるか、あるいは破滅か。その解答の出ないまま私は死んでいく。
ただ私の最後の言葉として遺したいのは、人類がこの地球に生き残りたいと
思うならば、核兵器を全廃しなければならない。」
バートランド・ラッセル