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背景の記憶(164)

  二十歳のエチュード

父よさらば
兄よ姉よ弟よさらば
かわいそうな継母よさらば
すべてのよき先生方よさらば
そして我を愛してくれた女たちよさらば
今我は母の心のみを抱いてただひたすら
放浪の旅へとたたん
すべての関係者関係事よ
わが胸の中から去ってくれ、お願いだ
一個の生物体はどこへ行く
暗い夜空の彼方へと流れ星となって
飛んで行け
見えなくなっても飛んで行け




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背景の記憶(163)

    「自画像」

 彼は或る家の長男である。背も高いがずんぐりしているので相撲取りのように不格好な体つきだ。その上歩く時はまるで老人のようによちよちと、おまけにツンとすまして歩く。よちよちして歩くのは小学校の頃足を折ったせいだ。彼は友達に出会うと、必ずニヤリと何だか訳の分からない笑いをうかべる。おそらく自分ではあいきょうのいい顔をしているつもりだろう。

 彼が小学校の頃足を折ったというのは、さんざんあばれたあげくの事で、彼の小学校時のあばれんぼうずは有名だった。教官室に呼びつけられた数えきれないくらいだが又成績の方も非常に良かった。でも彼の今の成績ときたらさっぱりだめだ。おそらくまだ昔の夢を見て、「自分も頭はいいのだから少しでもやればいくらでもよくなる」などと自慢にもならないことを考えて、一向に勉強しようとしない。まあそのうち後悔する時がくるだろう。

 彼は人のいうことはなかなか通さない。一応は「ふんふん」と聞いているが、実は心の中では「フン」と冷笑している。そのくせ自分はろくな話らしい話も出来ないのだからいい気なものだ。

 彼はまた、一面非常に気の弱いところがある。だから一人で買い物に行くことはめったにない。行ったとしても店に女の人がいるとなんだかはずかしいような気がして、いつまでももじもじしている。それに、同じ学級の女子や先生が向こうからやってくると、別段用のない横丁へはいって、通り過ぎると出てきてまたツンとすまして歩く。全く臆病なやつだ。これは彼自身十分認めているところだ。でも家にいるときは大変いばっているのだから妹や弟にもとかくきらわれる。

 父はひとがよくて、というよりあきれるほどの無口で何をいってもめったに怒ったことがない。だから正に彼の天下である。外での弱さを家の中で強く出すいわゆる内弁慶だ。そのくせ父が一番こわいというから不思議だ。

 まあ彼のいいところといったら人のいいこと、飯を炊くのがうまいこと、また彼には似合わぬ素晴らしい闘志をもっていることだ。でもこれはよほど自分が困らないと出てこない。まあこれ位のものだろうと彼自身は思っているらしい。

 彼は海辺に育ったせいか非常に短気で、腹が立つとやたらにあらい言葉をあびせる。一寸気にくわんところがあるとその人を徹底的に嫌う。だから反感をかうことが多い。でも反面涙もろいのでそういう人にやつあたりした後でいつも淋しい気持ちになるのが常だ。

 彼は人が何か聞くとそれに対して素直に答えることがない。いつも人を皮肉ったような答え方をする。どうもこれは慢性のものrたしい。

 彼は退屈するとラジオでまんざいや落語を聞いて一人でケラケラ笑っている。これを妹や弟が見て「気が狂っておらせんか?」などとかまうのでたちまち彼はふんがいして「何ッ」と大きな声でどなる。これも内弁慶のあらわれだ。そんあものを聞いている時間があったら宿題の一つでもしたらよさそうなものだのにめったに宿題などやったことがない。大人になっても大した人物にはなるまい。あのカビの生えたような頭でいったい彼はいつも何を考えているのであろうか。彼はまったくとりとめのない実に奇怪な人物である。彼は今年十六才と三カ月の青年のような少年である。終わり。

         兄・喜久 作

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背景の記憶(162)

    隆夫さんの思い出

 隆夫さんが知夫へ帰ってきたのは、たしか昭和十八年の秋であった。その頃私は隣島の海士村に勤務していて、郷里知夫にはいなかったはずだが、記憶の糸をたぐり寄せると・・・

 その夏私は自分の不注意から満二才の寛典を失った。私たち一家四人は御波小学校の狭い宿直室で暮らしていたが、寛典は生まれつき皮膚が弱かったのか全身湿疹で、包帯だらけだった。(頭に包帯を巻いた小さい身体が、板間の控室で竹刀をふりまわしていた姿が目に浮かぶ)ある人がこんな子は潮につけたらと言ったのを、まにうけたのが災いのもとだった。ある日一家で近くの海岸へ水浴に行った。その直後寛典はおかしくなり、家内が夜中に「お父さんはや起きて」と騒ぎ出した。急きょ知夫へ連れかえり(近くに医者がいなかったから)すぐまた別府の勝部医院へ便船で運んだが、さすがの名医も首を傾げるばかり、絶望は目に見えていた。「とうちゃん、いかあやいかあや」とせがむ寛典を背負って、自宅の周りの坂道を行き来したのが、痛恨の思いとともに蘇ってくる。八月二十二日あえなく他界、心ばかりの葬儀をすませた。

 前後は忘れたが、その九月から母校を会場とする文部省主催教員再教育の三か月研究科入学通知があり、暗い悲しみの中で支度をしていたが、家内の様子がどうもおかしい。愛児死別でたいそうやつれているようなので、このまま農事に忙しい両親のもとへ残しておいたら大変なことになりそうだという不安にかられた、五才の長男もろとも三か月いっしょに松江に連れだすことにし、家内の従姉の山田テフさんに頼んで、法吉村国屋の農家の離れを借りることができた。

 その年の秋は大水害があり、水につかった黒田の畦道を当時の法吉役場へ米穀通帳などの手続きに行ったこと、十一月のおいみさんに長男の喜久を肩車にして詣ったこと、幸子(家内)がテフさんと従姉妹どうし付近の山を薪拾いに歩き回ったことなどそのほかいろいろ思い出される。そして全く本人さえも初めのころ気がつかなかったのだが、次女の素子が腹の中にいて、三か月の間にみるみるふくれあがった。

 隆夫さんが知夫に帰ったのはたぶんその松江に出るまでの短期間うちにいた時にちがいないと思うのだが、明治大学を出て、就職直後だったはずだ。後から思い合わせると、姉二人(島崎の伊佐さんと幸子)いる、父母の生まれ故郷へそれとなく別れを告げに来たにちがいない。ごくわずか二、三日しかいなかったと思うのだが、その決意を秘めて、後で海軍志願したと聞いて、あっと驚いた記憶がある。隆夫さんと軍人、およそ考えられない取り合わせだった。そしてまさか二年後戦死などと思いもよらなかったから。

 隆夫さんは見るからにおとなしい、まじめな性格だった。兄弟姉妹みなそうであるが、隆夫さんがまさか自ら志願して軍人になろうとは夢にも思われなかった。谷川のお父さんはすでに亡くなっていたが、この、平時であれば考えられもしない二十歳の若者(ほんとに若い!私たちもそうだったが)を戦場へ駆り立てたものは何であったか。本土死守、皇国護持、一人で優秀な飛行機乗りがほしい、純真無垢な若者はただひたすらに、この父母の国、最愛のはらからの国を鬼畜米英の来週から護らざればという一念のほか何ものもなかったに違いないのだ。

 それからの〜母ハツさんの半狂乱とも思われる飛行場巡りが始まる。名古屋ー美保基地、あのころのお母さんの心事、「軍国の母」ということばはあるが、とても簡単に語りつくせるものではない。

 隆夫さんは美声だった。稀にみる美声だった。今生きながらえてのど自慢にでも出場したら、ぜったい金賞まちがいなしの美声だった。私たちの結婚の里帰りの晩餐祝宴で歌った学生服姿の美声は(なんの歌だったか)終生耳の奥にはりついてはなれない。

            (平成六年十月二十四日 渡部一夫)

※隆夫叔父は昭和二十年四月七日 特攻隊で戦死

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背景の記憶(159)

軽やかに半音を切り替えるハーモニカ演奏〜クシコスの郵便馬車

体育館に響き渡る〜「nice shoot!」の声

防波堤に翻るスカート

鮮やかなコバルトブルーのシャツ

薄暗い跨線橋下を通る爽やかな風

見舞いの便箋に添えられた数枚の顔写真

バイク事故の体への献身の看護

別れの時の頬へのくちづけ

ペンネームで寄せられた何通もの手紙

「どうしてそんなに苦しい方へばかり行くの?」

離島で眺めた満天の星空

遠路はるばるやって来た湖畔の宿の別れ

「結婚しました」の短い文面の葉書と代わった苗字

流れるように達筆な文字

勝ち気で颯爽と歩くミニスカート

「思い出に・・・」と差し出すものは受け止められず

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巡る巡る〜時代は巡る26.11.12-2.jpg

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背景の記憶(158)

間借りであれ、アパートであれ、

借家であれ、持ち家であれ

家(部屋)は存在したが

家庭がなかった。

温もりがなかった。

何よりも先が見えなかった。



今、ぼくは

家庭の太陽なんだろうか

家の柱なんだろうか

ひょっとして僕も

同じことをしてるんじゃなかろうか。

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背景の記憶(157)

    満天の星


離れ小島の海辺に寝転がって

満天の星空を見上げた

あの夜を覚えているよね


無数の星たちは

手が届くようにそこにあって

降ってくるような

引き込まれるような

あの不思議な感覚


流れ星は

幾筋もの鮮やかな直線を描いて

水平線の向こうに消え

星雲も星屑と呼ぶには

もったいないくらいに

宝石のようにそれぞれが輝いて


本土の雑踏や喧騒を

吐き気を覚えるくらいに

遠ざけたくて

このまま時間余止まれと叫ぶ言葉を

大きなため息に変えて

僕は目を閉じた


すぐとなりのきみは

何を考えていたのだろう

何を夢見ていたのだろう

五つの年齢差は

母と子ほどの重さと温もりで

僕のすべてを包み込んだ

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背景の記憶(156)

  旅立ち


きみが手を振る

脚を大きく踏ん張って

両腕を頭の上で激しく交差させる


大勢の見送りの人たちの群れから離れて

きみが手を振る

デッキの上の僕は

きみの大きな動きの中に心を読み取る


軽いなさよならではない

複雑なさよならでもない

逆だな

こんな場面で一つになれたなんて


一筋の船の航跡が僕の想いを乗せて

遠ざかってゆく

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背景の記憶(155)

六年生の夏休み

これはなかなかの大役でした。放送部だったからかな?26.7.22-3.jpg26.7.212-2.jpg

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背景の記憶(154)

二月に百歳で亡くなった父が、以前送ってくれた物のなかに、僕が小学校五年生の時の日記帳があった。教師だった父らしく、それぞれにコメントが付されている。

三月二十八日 土曜 天気 晴 起床 七時0分 就床 八時二十分

あおあおとしたかいせいの空に  

一きのジェットキが 白い線で

空を二つにわった

ツツート、ジェットキが

とんでいってしまった

空には、白いせん一本

ほかにはなにもない


こんな詩ばかりでなく その日にあったこと、思ったこと

したこともかくとよい。26.7.22-1.jpg

表紙裏には

「日記はよいことだ 続けることがむつかしい」

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背景の記憶(153)

「いつも遠くを見てる目をしてるね」

「どこかに何かを忘れてきたの?」

「未練?失恋?後悔?・・・」



全部かな

いろんなことがありすぎたよ

僕の年齢と短い時間を思えば・・・

そばに居てほしい人は

みんな僕から離れて行ったよ

結婚、病死、脱走、転向・・・

どちらが真面なのか

何が正義なのか

人道という名の仮面

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