小学校時代、総じてみんな貧乏だった。もちろん〜イイ所の子も何人かはいたが、それが羨ましいという時代でもなかった。そんな中でも極端にみすぼらしい子もいたわけで、当然ながら皆から遠ざけられるようになり、やがて登校拒否になりで、先生にしたら悩みの種であったに違いない。
そんな時先生が「わたなべ・・・〇〇君の家へ様子見に行ってくれ。あまり強引なことは言うなよ。」四年生の僕には、これはやさしいようでかなり難しい課題だった。坂道の中腹にある屋根に石が乗った平屋で、壁はトタン張りだった。ギシギシの引き戸を開けて、暗い部屋内に向かって、「こんにちは〜・・・」と恐る恐る声を発した。返事がない代わりにお母さんらしき女性がヌ〜っと現れた。
僕はちょっとビックリして、咄嗟には声が出なかった。やっとの思いで「あの〜・・・〇〇クン、居ますか?」と切り出した。「居ますけど何か?」と言われるとその先が続かない。お母さんも普通ではない身なりだったので、僕は怖気ついてしまった。「また学校に来るように言ってください」とだけ言い残して僕は急いで家を後にしてしまった。
先生にはありのままを報告したけど、何の役にも立てなかった自分が情けなかった。もっと言い方があったんじゃないか?直接顔を合わせるべきだったんじゃないか?心のどこかにへんな優越感めいたものがある自分がとても嫌だった。

もうずいぶん時が経ってしまったね
酔っぱらって
夢のまた夢を
思わず口にしてしまったことだけど
君は真剣に受け止めてくれて
本当に挿絵を描いてくれた

カッコつけて
詩集なんて言ったけど
残念ながら
それらしい中身は
生まれそうにないね
立場逆転で
君の絵に
コメントを入れさせてもらおうかな
この世のすべての事象は
「因果の法則」に則っていると教えられている。
「善因善果、悪因悪果」
生まれ来たこの世のことだけではなく
過去世に己はどんな悪業を積み重ねてきたのか・・・
わずかばかりでも善行はあったのか・・・
そしてその報いが今生に現われている・・・と。
しかし「隔生忘却」の理からすれば
具体的な内容を知ることは全く不可能と言える。
ただただ、今の己の在り様を見て推察するしかない。
では、未来(来世)に救いはあるのか?
それが問題だ。
迷信邪教に振り回される人もあれば、
無神論者となって刹那的に生きる人もいる。
いかにして「正心」に巡り合うか!
それが問題だ。
ここでまた、大きな分岐点を迎えることとなる。
生まれ変わり、死に変わり、幾度それを繰り返してきたことか。
堕獄の苦しみは、生きている間にはわからない。
ただ・・・この世もあの世も一緒とすれば
今、我如何に生きるべきか〜は見えてくる。

新校舎の一階の奥にある放送室は
当然ながら防音装置が万全で
入ると、すべての音が壁に吸い込まれるような
錯覚を覚えた。
ガラス越しの機械室からのサインに従って
僕は、ピン ポン パン ポ〜ン , ポン パン ポン ピ〜ン
と鉄琴を鳴らした。
「みなさん、こんにちは〜! まず今日のお知らせです・・・」
みんなは給食を食べている。
ぼくら放送部員はお預けだ。
合唱団員だったことも、理由の一つなのか
声の質が良かったのか・・・
500人くらいの中から抜擢された。
合唱団も放送部も、自分から手を挙げた記憶はないし
たぶん担任の田辺先生の推薦だったと思う。
給食を済ませたみんなが掃除をしている
ホコリもうもうのなかで
僕は冷めた給食を一人で食べなければならなかった。
毎日ではなかったから
たぶんもう一人アナウンス担当がいたと思うが
まったく思い出せない。
技術には宇野君いたような・・・
彼は今やフランス文学会の有名人だ。
歌にしろ放送にしろ
その後の勉学や職業に
まったく結びついていないのが情けない。
それもこれも、家庭崩壊と家出にある。

うたた寝ではなく、意識的に布団ではなく、畳で寝た。
臥薪〜とまではいかないが、若いころを思い出して、やってみた。
冬は寝袋、夏はどこででも眠ることができた僕だった。
朝、意外と爽やかな目覚めに、「またやってみよう!」
(家族は不審顔だが・・・)
もう一つ・・・
一日断食、もちろん飲酒もなし。
「ダイエットの最短距離は〜食べないこと」
どこかでタモリさんが言ってたような?
効果覿面!
体重〜2?減!
元へ戻って・・・「臥薪嘗胆」
自戒のため、事を忘れないため、決意を固くするため
故事のごとくに「恨みを晴らす」わけではないが
心境はそれに近いかもしれない。
ナニクソ!
