「ナベちゃん、無茶をしちゃいけないけど・・・冒険心ってものは、常に持ってなくちゃいけないよ」
「何も行動しないで、口でごちゃごちゃ言ってるだけでは、生まれるものも生まれないだろう」
「まず行動ありき・・・だな」
「闇雲にじゃなくて、熟慮断行ってやつさ」

「そんな時は、超・事務的にテキパキと処理する事に専念するんだな」
「極端な感情移入をすると、元も子もなくなっちゃうよ」
「その場しのぎの八方美人では、自分の周りには誰もいなくなるよ」

自分の中の、<もう一人の自分>が語りかける。
ここは口応えせず、素直に耳を傾ける。
I see I see
小学生のころ、よく魚釣りに行った。家から15分も歩けば、シジミで有名な宍道湖があった。
湖に流れ込む川の浅瀬で、餌になるゴカイを採って、干拓工事のための堤防に腰をおろして、釣り糸を垂れた。
いわゆるハゼ釣りだが、地元ではゴズと呼んでいた。「なぁ、ゴズ釣りに行かぁや」が合言葉だった。フナやボラも釣れたが、やはりどういうわけかゴズの方がおもしろかった。大きさの割には引きが強くすばしこいってところが魅力だったのかもしれない。 夕暮れが迫って、ウキが見えなくなるまで遊んだ。
何年生の頃だったろうか・・・教師だった父に叱られた。「おまえ、教科書全部学校の机の中に置いて帰ってるらしいな」僕はだまって答えなかった。本当の理由は・・・カバンがなくて風呂敷に教材を包んで通っていたことに嫌気がさしたことだった。父はそれ以上何も言わず、僕の頭を指先で突いた。父と担任のT先生は、同じ国語が専門の知り合いで、何もかもがバレバレだった。
そのT先生のおかげで、僕は目覚ましい活躍の場を与えられた。当時始まったばかりの視聴覚教育の先端とも言うべき放送部のアナウンサーに抜擢されたのだった。真新しい放送施設を通して、自分の声が全校に流れるのは、何とも言えない快感だった。
更には、全国放送教育なんとかいう大会が開かれた時には、会場を回るバスのなかでの様々な案内放送という大役を、同じ組だったMさんといっしょにさせられた。後年、帰省した時、父の書斎でその原稿類を発見した時、何とも言えない感慨に浸ったのだった。