昔から、天変地異は〖天の怒り〗〖人類への警鐘〗と受け止められてきたわけだが、
この近代社会においてさえ、その感を強くするのは僕だけだろうか?
猛烈な日照りあり、とんでもない豪雨あり、比類のない山火事あり、
地表がひっくり返るような大地震あり…………
今も昔も、これらを〖天の警鐘〗ととらえても不思議ではない。
人間の力ではどうしようもなく、ただ呆然とするだけなのだから………
〖雨 土塊を砕かず 代は義農の世と成て…〗は、人知の及ぶところではない。
天意が奈辺にあるかは、我々凡人が語る分野ではないが、その総意だけは
汲み取らなくてはなるまい。
俗にいうところの悪国、悪王が「我こそはトップリーダー」とばかりに
のさばっている今日、これもまた「さも有なん」と受け止めてしまう自分がいる。

プロ野球の前阿部監督と前桑田二軍監督とが、考え方の違いが露見したように、
他の社会でも似たようなことは各所で頻繁に起こっているわけで…
鉄拳制裁とかけつバットとかが、当たり前のように行われていた時代は、
古いのではなくて、間違っていたのだと…
それは飛躍した話に聞こえるかも知れないが、戦争論にも似ている。
片やのびのびとしたことを、甘やかしと捉えたり、しなやかな発想を
統一的に抑え込んでしまうのに似ている。
斬新な発想や行動は、指導者に対する反発、反抗と受け止められ
排除、もしくは無視される。
これまた飛躍した話に聞こえるかも知れないが、
【悦び】を説くのに【しかめっ面】をして説いて、相手に伝わるのか…
という話。ホンモノは、言わず語らずのうちに
相手の胸に響く。これが僕の揺るぎない信念だ。
長く険しい闘いだな…。
心の深呼吸をしてごらんなさい。
〖臨終のことを前に習ひて、後に他事を学ぶべし〗
身近な人間の【死】を体験した人は、切実に感じ真剣に考えるはずだ。
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大方は、当たり前のこととして生きている。
もし誰かの死を耳にしても、余所事と聞き【死】の実感を持たないだろう。
余程の有名人でもないかぎり、その受け止め方は稀薄だ。
地震や大雨の被害でも然り、二週間も経てば忘れてしまっている。
それにしても、日本人は我慢強い国民性なのだなとつくづく思う。
少々のことでは、いや大事に直面しても、狼狽えない、堪える。
〖私は、生きている〗
この事実が、すぺてを超越する力の源だ。
人はそれぞれ事情をかかえ、
平然と生きている。
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何がどうしたか…そこまでは言わないが、みんな何か事情をかかえて
生きている。その具体的何かは知る由もないが、無言でそっと見守るのも
優しさだと思う。逆の立場でも同感だ。 ~アリガタイ~
「平然と…」は、「言葉や態度には出さずに」と言い換えるべきかも知れない。
何かしら…はどう隠しても出てしまうものだから…自らも言わず語らずのうちに
内心をさらけ出しているのかも知れない。そんなときは、何気ない優しい
眼差しが、何よりも嬉しいはずだ。
やけに感傷的だな…
何がそうさせるのでしょう?
いつもの重症化予防策でしょうか?
