自分は隣人と、ほとんど会話が出来ません。何を、どう言ったらいいのか、
わからないのです。
そこで考え出したのは、道化でした。
それは、自分の、人間に対する最後の求愛でした。自分は、人間を極度に
恐れていながら、それでいて、人間を、どうしても思いきれなかったらしいのです。
そうして自分は、この道化の一線でわずかに人間につながる事が出来たのでした。
おもてでは、絶えず笑顔をつくりながらも、内心は必死の、それこそ千番に一番の
兼ね合いとでもいうべき危機一髪の、脂汗流してのサービスでした。
「人間失格」【太宰 治】

僕が此処で常々書いている自分の【ピエロ性】が作中の中で見事なまでに
言い当てられて、ちょっと驚いた。幼少期や少年期の僕にそれだけの自己分析が
出来たわけでもないので、ずっと後になって当時の自分を【笑顔よしのあきちゃん】
と表現したのだった。僕と同じ心を持った人がいるんだなぁ……という
一種の感慨と安心と、一種の後ろめたさとが交錯して、狼狽えてしまう。
本能的な自己防衛策としての笑顔、写真の中でも、ちょっと斜め下を見て
口だけ笑っている(…ような)自分。これを見抜いた人は、作中の人たちと一緒で、
僕の人生の中でも数名しかいない。大概の人は、
みんな「あなたはいつもどこか遠くを見ている」と言って去って行ったのでした。
僕は(中二階)に興味を持っている。玄関とトイレの近くですぐ階段があり、
ガレージの上で、二階への階段の五段目くらいに入り口があって、陽当たりが良く、
テーブルのような長机を窓の側に設え、足元は掘炬燵のようにして、リクライニング
の背もたれを使う。背面には床から天井までの可動式本棚を設け、レールも付ける。
入り口の反対側にはクローゼットを設け、際下段には布団を引き出せるような仕組にする。
僕はラジオ派だから、音響には拘りたい。両サイドにはスピーカーを程よくセットする。
これが僕のマイルームプランだ。郊外の山小屋風なら申し分ないのだが。

僕ごとき人間に
人生の醍醐味を語る資格なぞ、これっぽっちもありませんが、
しかし、それぞれのひとにそれぞれの歴史あり……で、
それぞれに懐かしみや悲しみや喜びの積み重ねがあるわけで……。
僕が思うのは……
町の一隅のあばら家で、慎ましく健気に生きる女性とか、
橋の下に段ボールで囲って生きている男性とか、
そんな人達を思うと、逆に励まされまた叱咤激励を受けるのです。
おまえは本真剣に生きているのか!
おまえはまだ何もやりきっていないのではないか!
そんな声が聞こえてくるのです。
物事や人様との比較の中に己を見いだすのではなく、
自分は自分として精一杯生きてやれ!
そんな叫びが聞こえてくるのです。


「復讐するは……」
当然分かってはおりますが、燃え盛る炎は、そうそう容易くは消せないものです。
自己弁護にも程がありますが、我慢にも限度があり、双方の対立、葛藤は相当な
ものです。
もちろん「……我にあり」のソレは重々理解しているつもりです。
それにしても、検察官を立てずに、自らがその立場になるというのは、相当な覚悟が
必要です。
「四面楚歌」~敵もさるもの、あの手この手で仕掛けてきます。
「忠臣蔵」ではありませんが、しばし山科に籠るのも一案でしょう。
もっと冷厳に受け止めれば……
まだまだ自分は試されているのかもしれません。
それを踏まえて……「沈思黙考」