差別の中でも一番堪えるのは【食べ物】ではなかろうか。
僕の三才の誕生日の明くる日に母が亡くなり、一年も経たないうちに義母が現れた。
もちろん僕自身にそうした実感があったわけではないが、兄と姉は強烈な拒絶反応を
示したのだった。そこから家族の分断が始まり、やがて崩壊の道を歩むことになった。
本来の六人兄弟から独りっ子になっ僕に、十年後義理の弟が誕生した。
兄や姉とは違って……というより何の理解力もなかった僕にとって、弟の誕生は、
それほどの違和感を感じることはなかった。しかし、その優しいお兄ちゃんは
いとも簡単に崩れさった。……と言っても、表面的には何ら変わることもなく、
僕の心の中が様変わりして行ったのだ。それは賎しいと思われるかもしれないが、
(食べ物の差別)だった。僕と義弟のおかずが明らかに差別されだしたのだった。
これはホントに堪えた。明らかに一品、二品、義弟の方が多いのである。
母性本能なのか、そこまでの差別意識は義母にはなかったのかもしれない。
もちろん僕はその心中の反感を表に出すことはなかった。でも、心の中には沸々と
煮えたぎるものが無かったかと言えば嘘になる。
小学生の僕が学んだ大人の教科書だったのかもしれない。
僕のピエロ性の始まりは此処からだと断言出来る。
己の持つ賎しさでもなく、乞食根性とも違う、なんとも言えない空白感。
逆に言えば、この時初めて、僕は(おかあさん)と叫んだのかも知れない。
何はともかく、母の懐に飛び込みたかったのだ。
転校生
卒業写真には載っていないから、たぶん五年生くらいの時だったと思う。
山陰には異質の明るく都会的な女の子が転校してきた。想像するに親はNHKの関係者
だったのではないかと思う。学区内に松江放送局があったから・・・。
おてんばというよりも根っからの快活さで、すぐにクラスの人気者になった。
そしてわずか一年で、五月の爽やかな風のように去って行ってしまった。
なぜか・・・彼女の家(社宅)に遊びに行ったような臼ぼんやりとした記憶がある。
学級委員としての何かの役目だったのだろうか?
それとも単なる遊びだったのだろうか?それにしては大胆過ぎる。僕の性格上。
近くには、女優の田中美佐子さんが通ったカトリック系女子高があった。
市街を見下ろす小高い山(床几山?)の中腹に存在していた。
名前も容姿も鮮明に刻まれている。

「自分に正直に生きる」というけれど
これほど幅の広い言葉はない
どうかすれば、片方の誰かさんを傷つけることでもあるわけで……
その場合、正直は我欲になってしまう
人の出会いは、時に天の悪戯と思ってしまう
もっと早くあなたに逢えてたなら……
そうはいかないこの浮き世
純の塊のような小説家、詩人は、自死を選びまた心中に答えを求める
彼らからすれば、僕は臆病者なのだろうか
「上手くやれよ……俺みたいに」
世渡りの達人が皮肉の笑顔で言い放つ
何故だか……あんたの真似が出来れば、人間失格だと思う
失格者が失格のらく印を拒絶する~この皮肉
天の計らいは、恐ろしく奇怪極まりない
四分の三世紀もの時を経て、なお脳裏を離れないもの
それを記憶と言うのだろうけれど、それにしても・・・
この焼き付けられたネガはよくぞ劣化しないものだ。
染め込まれた素地は、何でできているのだろう?
恐らくは、現代医科学ではなし得ない素材なんだろう。
前置きが長くなりました。超ご無沙汰しております。
如何お過ごしでしたでしょうか?その後…と言っても、何のその後か
分からないほどの時の経過ですが……。僕はなんとか息はしていますが、
ある【ひとつ事】が終了しなければ、ピリオドを打つことができません。
ところがその【ひとつ事】がなかなかの難事で、往生しております。
人生をマイナスのままで終わらすわけにはいきません。少なくとも
ゼロ地点まで戻さなくては、負の遺産となってしまいます。この地点の
葛藤が図らずも生きるためのエネルギー源となっているのは皮肉です。
人生のツケは、他人様では返せません。どこまでも自己責任です。
「疲れたら、寄っかかればいいじゃないか」の声も聞こえてきますが、
それが出来ない、許せないのがこの僕なのです。
またお便りします。いつになるかわかりませんが……。
あなた様、どうぞお元気で!僕のためにも長生きしてください。




初恋のひと
小学校は、六年間同じクラスだった。
学級委員も同じ二学期だった。
彼女は合奏団で、僕は合唱団と放送部だった。
高校三年生の時、また同じクラスになった。
淡い……淡い……思い出のひと。
優勝賞金がいくらだとか、契約金がいくらだとか……
その額の多さによって、選手の価値が判断される……この時代
貧乏人のやっかみにとられるかもしれないが、おかしな時代だな……と思う。
桁がべらぼう過ぎて、判断のしようもない。
世の中が拝金主義に犯されてしまって、どうしようもない世界だ。
スポーツ界に限らず、あらゆる分野でマネーがすべてに優先する時代だ。
そしてその羨望の先が、ほんの一握りの人物や組織だったりするのに……。
スティーブ・ジョブズの言葉ではないが、あの世に金を持って行けるわけでもない。
棺桶を札束で埋めてもらいなさい……と嫌みの言葉を発したくなるのは
僕だけだろうか?
もちろん当の本人の努力、精進を否定するものではない。
要は、その使い方、使い道の問題だ。金の亡者では成れの果ては知れている。
貯めに貯める大企業。明日に頭を抱える零細企業に個人事業主。
アメリカ・ファースト、アメリカン・ドリームに洗脳されてはいけない。
格差、貧困の憤懣の矛先は暴動となって社会を揺るがす。
それでは何の解決にもならないのに……それでしか訴えようがない……この現実。


船に乗って行く
別々のところで生まれた
別々の心の
俺という数千人が
同じ船に乗り合わせて
流れて行く
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一日一日が淡々と流れ過ぎて行くことに悔いも焦りも感じなかったが、
それでも夜が始まると、一種名状し難い空しさを覚えてしまうのである。
このまま終わって行くだろう自分の生涯に対する漠然たる焦燥感だけでは
なかった。時の流れとは無関係に、自分というものが沈滞してしかも
確実に老いて行ってることに対するやりきれなさで、それが夜の灯に
包まれていっそう切なく溢れ出て来るのだった。
「道頓堀川」 【宮本 輝】