僕がまだ二十歳すぎのころ…
ある親世代のひとの質問に答えた記憶がある。
「信じていたひとに裏切られた…あんな人とは思わなかった…」
その言葉に僕は…
「こうして見る満月は、とても綺麗で神々しささえ覚えるけれど、
超拡大望遠鏡で見る月は、ゴツゴツとした粗肌で、美しさの欠片もない。
人間も同じじゃないですか?」
よくもあんなことが言えたものだと今更ながら恐縮する自分がいる。
頭でっかちな学者ぶった若僧だった。
しかし、しかし、…
あの言葉を口に出来たのは、もうあの二十歳すぎの時、僕は、
世の中の…人の心の…何たるかを達観していたのかも知れない。
叔父の言葉~「おまえは世捨て人みたいな奴やな」が甦る。
かりそめの賑わいの中で、己を満足させているのなら
それはまさに憐れむべき存在であって、賞賛に値しない。
謂わば、お世辞と誘惑の世界のなかで、踊らされているようなものだ。
よく言えば【知能犯】と言える輩は、そもそもどんな人生観を抱いているのだろう?
何十年が知らないが、どんな人生を歩んで来たのだろう?
凶器で人を殺め、傷つけることよりはマシなこととでも思っているのだろうか?
先ずは何よりも接点を塞ぐことだな。
フォローの数字に踊らされないことだな。
コメント欄さえもコマーシャル的に悪用されるに至っては、意に反してブロック
するしか手立てがない。
いくら鈍感な男でも、同じパターンを繰り返し体験すれば、当然ながら学習はします。
おそらくは大半がやらされているのでしょう。マニュアルが見えてくるようです。
呆れるくらい、ストーリーの展開が酷似しています。
名前と写真と生活や仕事の種類を置き換えるだけのことですから…。性懲りもなく
詐欺行為を繰り返す輩には、半ば称賛の思いすら沸き上がってきます。
さていよいよ…という時に、シャットダウンされるのはどんな気持ちでしょうか?
彼ら(彼女ら)に悔しさの念が沸き上がるのでしょうか?それとも…
「ああ、ダメだったか…次を当たろう」となるのでしょうか?
この類いの確率は何パーセントなんでしょう?
物のセールスなら1%で御の字と言われますが…
Facebook等からLINEへと誘導し、本人も気付かない誤字、脱字を連発し、
美女の写真を武器に誘惑するパターンには、ただ呆れるしかありません。
年齢とともに人との接点が減少し始めていることに気付く。
そのことに反比例して、非現実的な世界への没入が日常化する。
読書や空想(妄想)やアプリ将棋や音楽や…
小説の中の類似体験が想像力を掻き立てる。
文中の登場人物を自分や知人の名前に置き換えるだけで
そのまま作品として成り立つことに、ちょっとした驚きを覚える。
小説の題材というのは、そこら中に転がっているんだなと、ひとり納得する。
様々な別離が生み出す様々な悲喜劇、事件、、、
非日常を生み出したりネット社会の繋がりが日常化してしまった時、
バッサリと瞬時に全てを遮断する。
日本刀で藁人形の首を跳ばすように。
音の消えた静寂とは異質の静けさが我が身を包み込む。
これまでのネット上でのやりとりが、滑稽にさえ思える。
騙し騙されのくだらない説話が、いとも簡単に空中分解する。
なりすましや乗っ取りや誇張や搾取や…ありとあらゆる欺瞞が
くだらない垢かゴミのように消え去って行く。同時に、
踊り踊らされた己の化身が、人形のようにゴミ箱に投げ捨てられる。
再生と言うのはおこがましい。反省というのも情けない。
取り戻した自分を、もう一度見つめ直す。
感覚を新鮮にするには、つねに異質的なものを媒介として
自己を磨く必要がある。でないと感覚はいつしか鈍磨して、
マンネリ化する恐れがある。
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真理は現実の只中にあって、書物の中にはない。
書物は真理への索引(インデックス)ないしは栞に過ぎない。
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この世における辛酸不如意、苦労等を、すべて前世における
負い目の返済だと思えたら、やがては消えてゆく。だが、
これが難しい。
【森 信三】