<時代という暴力>とでも言おうか・・・
個人的な努力や研鑚の積み重ねでは、どうする事も出来ない圧力が伸し掛かる。
自分にとっての大切な時期を、どんな時代に生きたのか〜これは深刻な命題だ。
<時代の波>と言う人もいるだろう。
<運・不運>で片付ける人もいるだろう。
戦争や革命(維新)、天災や公害・・・時代を区切る要因は数知れない。
しかし、何と言っても最大のポイントは<時の流れの速さ>ではなかろうか。
そのスピードがあらゆるものに影響を及ぼし、打撃を与え、ついには破壊する。
みんな・・・何のために生きているのだろう?
そんな大きな時のうねりの中で、何を目指して生きているのだろう?
勝ち組があり、当然ながら負け組があるわけだが、
何をもって勝ちと言い、負けと言うのだろう?
「昔は(あのころは)良かった」と言えば、くだらない感傷と葬られ
ITに長けた連中が、時代の寵児ともてはやされる。
何のための人生なのか?
切り込む角度によっては、答えは大きく変わる。
成功、不成功に関わらず、達観した者は、全てを無にしてしまうかも知れない。
良い意味でも悪い意味でも、欲心がエネルギーとなり、人は突き進む。
人間様は・・・「わたしは無欲だ」と言えば嘘になる。
たとえそうであったとしても、それは自分を誤魔化しているに過ぎない。
連休・・・
今夕、テレビで阿久 悠の追悼歌番組の再放送をやっていた。
最後に出演者みんなで歌った歌が「青春時代」だった。
僕としては、作曲者の森田公一とトップギャランの方が好きだった。
あれはいつのことだったろうか?就職して何年目かの会社の新年会・・・
同じ課の彼女がデュエットに誘ったのがこの曲だった。
♪二人はもはや美しい
季節を生きてしまったか
あなたは少女の時を過ぎ
愛に悲しむ人になる
青春時代が夢なんて
あとからほのぼの思うもの
青春時代のまん中は
胸にとげ刺すことばかり
まさしく彼女は少女の時を過ぎ<女>になろうとしていた。
齢が五つも違えば、僕には少女イメージしかなかったのだが・・・
その先、まったく歌詞と同じような展開が待っているとは想像もしなかった。