<時代という暴力>とでも言おうか・・・
個人的な努力や研鑚の積み重ねでは、どうする事も出来ない圧力が伸し掛かる。
自分にとっての大切な時期を、どんな時代に生きたのか〜これは深刻な命題だ。
<時代の波>と言う人もいるだろう。
<運・不運>で片付ける人もいるだろう。
戦争や革命(維新)、天災や公害・・・時代を区切る要因は数知れない。
しかし、何と言っても最大のポイントは<時の流れの速さ>ではなかろうか。
そのスピードがあらゆるものに影響を及ぼし、打撃を与え、ついには破壊する。
みんな・・・何のために生きているのだろう?
そんな大きな時のうねりの中で、何を目指して生きているのだろう?
勝ち組があり、当然ながら負け組があるわけだが、
何をもって勝ちと言い、負けと言うのだろう?
「昔は(あのころは)良かった」と言えば、くだらない感傷と葬られ
ITに長けた連中が、時代の寵児ともてはやされる。
何のための人生なのか?
切り込む角度によっては、答えは大きく変わる。
成功、不成功に関わらず、達観した者は、全てを無にしてしまうかも知れない。
良い意味でも悪い意味でも、欲心がエネルギーとなり、人は突き進む。
人間様は・・・「わたしは無欲だ」と言えば嘘になる。
たとえそうであったとしても、それは自分を誤魔化しているに過ぎない。
連休・・・
多くの人が動いている。
旅行・帰省・遊び・・・動いている。
宇宙の探査機から見れば、蟻の行進か?
僕は動かない。
いや・・・動けないと言うのが正解か。
・・・ならば
誰にも邪魔されず
小説の中に旅をしよう。