○「優しい」と「弱い」は紙一重
○「怒鳴る」のではなく「毅然と」しかし「冷静に」
○舐められること自体は恥ではありません。
舐められた瞬間に自らを小さくしちじこまってしまうことが最大の敗北です。
○真に問われているのは「外の言葉」ではなく「内なる評価」なのです。
○怒りは相手に燃料を与え、沈黙は相手に支配を許します。
しかし、感謝は相手の武器を無力化し自分をさらに強くするのです。
本当に強い人は、大声でどなりちらす人ではありません。黙って耐え続ける
人でもありません。
批判や侮辱を受けながらも微笑みを崩さず、「ありがとう」と言える人です。
○批判は成長の種です。 侮辱は力の証明です。
○無視こそが最大の無関心であり、真の終わりなのです。
○相手の言葉を「刃」ではなく「教材」として吸収し自らの血肉にすることです。
○敵の言葉を拒まない。侮辱を恨みに変えない。
批判を恐れず、むしろ歓迎する。批判は未来の栄養になる。
○大切なのは「感情」ではなく「線を引く」ことです。
○批判は燃料になり、侮辱は勲章に変わる。
○「線」と書く。自分に「境界」を引く。
○文句を言われる内が花だ。無視されるよりずっといい。
○「屈辱」は「成功」の肥料だ。

・・・・・いつごろだったかわからないけれど、ある日、「ほぼ日」のホームの
ページのイントロ画像に、「Only is not Lonely」という言葉が記された。
「ひとりでいることは、孤独ではない」という日本後になるかとも思うがそんな感じでいい。英語の苦手な僕が考えた言葉なので、何人かの人には「英語的には、おかしいけど」と言われた。その後も、いろんな英語を話す人に聞いてみたが、「詩のように語っているのだから、これでいい」という英語ネイティブな人もいたりして、なんとなく僕も「これでいい」と判断してしまった。
この言葉が生まれたときのことは、よく憶えている。夜中に、明日の「ほぼ日」
のための原稿を書いている。午前3時とかだから、ほとんどの人はねているはずだ。しかし、インターネットがつながった時代になってからは、どこかのだれかは
起きていて、いまのじぶんのように、「ひとりなにかやっている」ということも
知れた。「おれもひとり。おまえも、ひとり。おーい起きてるか」と呼びかけたら
世界中のあちこちの「ひとり」から「おーい」「おーい」と声が返ってくると
信じられた。ひとりって、ほんとは、ひとりでないじゃんっ」その実感が押し
よせてきて、涙が出そうだった。たったひとりは、けっして、ひとりぼっち
ではない。Onlyであることは、Lonelyじゃないんだと思えた。
「ほぼ日」は、そういうことが実感できる婆所にしよう。そう考えて
「Only is not Lonely」と言うことにした。
眠れなくても、てはつなげる。
なかまであることを確かめあわなくても、なかまになれる。
ちがうなと思うときには、その手をそっと離せばいい。
むりやりずっとつながっているより、点滅してればいい。
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糸井重里 「「ほぼ日」

逆らわず いつもにこにこ 従わず
昇 幹夫
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お互いがお互いを看取る恋愛は、セックスが目的の恋愛とは
まったく別なモノになる。
年をとらないとわからないことって、たくさんありますから。
たとえば五十代を過ぎて描ける夢をあれば、出会えるほんものの
人生もあるんですよね。それなのに、そういったことを忘れたり
諦めたりします。もう、年だからと言い訳して自分の人生を
ないがしろにしてほしくないですよね。
弘兼兼史
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会社を辞めた途端、自分の周りに誰もいなくなるという人は
数多いでしょう。立場を越えてえて話を聞いていたのではなかった。
結局仕事を通しての人間関係でしかなかったということの
あらわれだと思うんです。
数ある国語辞典の中でもユニークだと言われた「新明解国語辞典」で
”恋愛”の定義を引くと、
「つねに逢いたい、ふたりだけで一緒にいたいと思いながら
かなえられずにやるせない思いに駆られたり、それがかなえられて
歓喜したりする状態」
和田秀樹
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魅力的な人は、好奇心旺盛で感情豊かです。
私はそんな人たちを見てきて、歓びや悲しみ、あらゆる感情を
大いに揺り動かして生きていくといいのだな、と思っています。
起こってくることを味わい、知らないことに出合えたことを歓んで
丁寧に生きていきたいと、私も思うのです。
≪好奇心は人を魅力的にし、感情の振幅は人生を豊かにする
「知らないこと」に出合うことは、新しい世界への入り口に
いるということ。≫
好奇心がなくなったら、時代の変化を楽しむことができない。
未来に興味がない人は、はなしていてつまらない。
過去のことしか話をしないからだ。
「知らないことを知ること」は何も未来だけに限らない。
およそ役に立たない雑学であろうと、それを知ろうとする人の
気持ちは若い。
知りたい、学びたいという知的な欲求を捨てたとき、つまらない
人間になってしまう。
好奇心いっぱいに、どんなことも面白がる、知らないことは
興味津々身を乗り出して聞く、驚く、感動する人・・・。
何度も会いたくなる魅力的な人を目指したい。
・・・(五木寛之)・・・

本当に理解しているかどうか、そんなのを求めるのが虫がいいんだと思ったり
心の中で拠りどころにすることはできるし、そういう人がいるんだと思うことが
どんなに解放感かもしれない。これは思い込みも含めて、こういう人が一人でも
二人でもいたらいいなあ、そうすれば我慢もできるよっていうことがあるんじゃ
ないでしょうか。僕はそういう解決のしかたをしているような気がしますね。
それさえもまた、ある事柄を契機にして裂け目を生ずるみたいなこともあったり、
いろいろありますが、思い込みも含めて、この人はわかってくれるんだと、
そういう人がいたらつっかえ棒になるんじゃないでしょうか。
吉本隆明 「自由を生きるには」
