今日(2月11日)は、私たち夫婦の金婚式。
建国記念日なので、あっ、忘れてた!はこれまでに無い。
半世紀・・・長いような、あっという間のような、複雑な感覚。
僕個人的には、結婚までの四半世紀が壮絶過ぎたので、色々あったとは言え、
右肩上がりの時代の流れもあって、比較的安定した五十年ではなかったろうか。
ものは考え様・・・下を向いて生きれば暗い人生になってしまう。
苦しくても、辛くても、上を向いて歩けば、希望が湧いてくる。
そして現実、たくさんの人たちの支えがあって乗り越えてきた。
しかし他方、家内からすれば、言いたいことは山ほどあるだろう(たぶん)。
廻りと比較対照してみると、良き伴侶に恵まれた・・・の一語に尽きる。
遅まきながらでも、恩返しの心で生きなければ!との思いを強くする。
今僕が腹立たしく思っている事(人)は、
本当は的外れな大したことではなくて、
実のところ、
自分自身に腹を立てているのだ。
この意気地なし野郎!
我慢して 我慢して 我慢して
とことん我慢していると
それが何時かしら当たり前になる
継続 継続 継続
腹八分目から六分目へ
断酒 断酒 断酒
果ては 三日間断食
我なりルールに忠実に従えれば
目標は達成できる
体重65キロ
ゴールは近い!
横たわるきみの横に
朝のひかりが射している
過去の重さを洗おうとして
辿り着いた深い眠りよ
別れようとする魂と
出逢おうとする魂と
ああ体中輝きながら
旅立って行け朝に
モーニング モーニング
きみの朝だよ・・・
・・・・・・・・・・・
生まれようとする魂と
老いぼれて行く魂と
ああ人間のはしくれに
生まれてきたというのに
・・・
変わろうとする魂と
澱んでしまう魂と
ああ体中輝きながら
旅立って行け朝に
・・・
現代社会に欠けている潤い、水分、湿り気、これは一体何なのか?
一言でいうとそれは「情」ではないでしょうか。
愛ではだめなんです。
愛情が必要です。
・・・・・・・・・・
今日のようカラッカラッに乾いてしまった社会には、「情」という水分を
補給し潤う必要がある。
その湿り気は涙ではないか。
涙を流すことは、笑うことと同じくらい大事だ。
五木寛之
父が学校の教師だったから、当然ながら父自身が僕の授業参観に来ることは全く無かった。そしてこれまた悲しいかな当然ながら義母(継母)も来ることは無かった。しかし、父と僕の担任教師とは学会でも知人であったため、それなりの情報は父には伝わっていたようだ。
あれは小学四年生の頃だっただろうか?帰宅した父から「あきお、おまえ教科書を学校に置いたままなのか?」と聞かれた。(あちゃ、バレたか・・・)さらに「宿題はどうしてるんや?」これには(放課後の時間にやってしまってるよ)と答えた。事実だったし。それから先は父の追及は無かった。更に聞かれてもたぶん無言を貫いただろう。
理由は明白だった(自分なりに)。僕にはランドセルが無かったし、当時では気の利いた手提げ袋も無かった。幼心ながら、風呂敷に教材を包んで行くのが恥ずかしかったのだ。似たような子は他にもいただろうけれども、そこまで観察する思いもなかった。着ている服と同様、人の目が気になる性格的なものも働いたようだ。
もう一つ付け加えれば、級長という立場も、一種の自尊心を形成していた。いつも書くように自身のピエロ性がそうさせたのだと分析する。人前では一際明るく振舞い、(笑顔良しのあきちゃん)を演じていたのだ。そんな内面を、父はどこまで理解していたのだろう?担任の先生からの伝達を鵜呑みに信じていたのだろうか?