今日(2月11日)は、私たち夫婦の金婚式。
建国記念日なので、あっ、忘れてた!はこれまでに無い。
半世紀・・・長いような、あっという間のような、複雑な感覚。
僕個人的には、結婚までの四半世紀が壮絶過ぎたので、色々あったとは言え、
右肩上がりの時代の流れもあって、比較的安定した五十年ではなかったろうか。
ものは考え様・・・下を向いて生きれば暗い人生になってしまう。
苦しくても、辛くても、上を向いて歩けば、希望が湧いてくる。
そして現実、たくさんの人たちの支えがあって乗り越えてきた。
しかし他方、家内からすれば、言いたいことは山ほどあるだろう(たぶん)。
廻りと比較対照してみると、良き伴侶に恵まれた・・・の一語に尽きる。
遅まきながらでも、恩返しの心で生きなければ!との思いを強くする。
父が学校の教師だったから、当然ながら父自身が僕の授業参観に来ることは全く無かった。そしてこれまた悲しいかな当然ながら義母(継母)も来ることは無かった。しかし、父と僕の担任教師とは学会でも知人であったため、それなりの情報は父には伝わっていたようだ。
あれは小学四年生の頃だっただろうか?帰宅した父から「あきお、おまえ教科書を学校に置いたままなのか?」と聞かれた。(あちゃ、バレたか・・・)さらに「宿題はどうしてるんや?」これには(放課後の時間にやってしまってるよ)と答えた。事実だったし。それから先は父の追及は無かった。更に聞かれてもたぶん無言を貫いただろう。
理由は明白だった(自分なりに)。僕にはランドセルが無かったし、当時では気の利いた手提げ袋も無かった。幼心ながら、風呂敷に教材を包んで行くのが恥ずかしかったのだ。似たような子は他にもいただろうけれども、そこまで観察する思いもなかった。着ている服と同様、人の目が気になる性格的なものも働いたようだ。
もう一つ付け加えれば、級長という立場も、一種の自尊心を形成していた。いつも書くように自身のピエロ性がそうさせたのだと分析する。人前では一際明るく振舞い、(笑顔良しのあきちゃん)を演じていたのだ。そんな内面を、父はどこまで理解していたのだろう?担任の先生からの伝達を鵜呑みに信じていたのだろうか?
