「人間にいちばん大切なのは逆境に立ったときだ、借銭などでいちじを凌ぐ癖が
ついたら、とうてい逆境からぬけ出ることはできない、どんなに苦しくとも、
自分の力できりぬけてこそ立ち直れるものだ」
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人間とはふしぎなものだ・・・悪人と善人とに分けることができれば、そして或る
人間たちのすることが、善であるか悪意から出たものであるかはっきりすれば、
それに対処することはさしてむずかしくはない、だが人間は善と悪を同時に持って
いるものだ、善意だけの人間もないし、悪意だけの人間もいない、人間は不道徳な
ことも考えると同時に神聖なことも考えることができる、そこにむずかしさとたの
もしさがあるんだ」
「ながい坂」 山本周五郎
「なるほど武士は刀法をまなぶ、弓、槍、銃、馬術など、身にかなうかぎり武芸を
稽古する、それはたしなみとして欠くべからざるものだから、けれどもそういう
武芸を身につけたからといって少しも武士の証しではない、さむらいの道の神髄は
それとはまったく違うところにあるのだ」
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「・・・さむらいとは『おのれ』を棄てたものだ」
☆
「生死ともに自分というものはない、常住坐臥、その覚悟を事実の上に生かして
ゆくのがさむらいの道だ・・・」
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「おまえは我流ながら刀法をよく遣う、しかし人間がけんめいになってやれば、
刀法に限らずたいていなわざは人並みにできるものだ、しかしわざはどこまでもわ
ざに過ぎない、心のともなわぬわざは注意が外れた刹那に身からはなれるだろう」
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「心がその道に達していれば意識せずとも肉体は必要な方向へ動く、剣をとろうと
鍬をとろうと、求める道の極意はその一点よりほかにはないのだ」
山本周五郎 「壺」
水の都は各地にあるが、故郷・松江もその名にふさわしい水郷都市だ。
宍道湖、嫁ケ島、松江大橋・・・そこに上がる花火は絶景だ!
糊の効いた浴衣を着せられて、慣れない下駄を履かされて・・・
父に手を引かれて見物に行った。
横に母がいないのが寂しい。
母は北松江の生家で、あの花火を楽しんだのだろうか?