「なるほど武士は刀法をまなぶ、弓、槍、銃、馬術など、身にかなうかぎり武芸を
稽古する、それはたしなみとして欠くべからざるものだから、けれどもそういう
武芸を身につけたからといって少しも武士の証しではない、さむらいの道の神髄は
それとはまったく違うところにあるのだ」
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「・・・さむらいとは『おのれ』を棄てたものだ」
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「生死ともに自分というものはない、常住坐臥、その覚悟を事実の上に生かして
ゆくのがさむらいの道だ・・・」
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「おまえは我流ながら刀法をよく遣う、しかし人間がけんめいになってやれば、
刀法に限らずたいていなわざは人並みにできるものだ、しかしわざはどこまでもわ
ざに過ぎない、心のともなわぬわざは注意が外れた刹那に身からはなれるだろう」
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「心がその道に達していれば意識せずとも肉体は必要な方向へ動く、剣をとろうと
鍬をとろうと、求める道の極意はその一点よりほかにはないのだ」
山本周五郎 「壺」