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京都ラブストーリー?

 大丸での従業員用エレベーターの運転?のアルバイトでは、自然と群れる仲間が形成されて行った。僕たち四人組は、一種真面目な?プー太郎の集まりだった。風体はヒッピーそのものだったが、心根は至って内気で真面目な奇妙なグループだった。僕は三人にあだ名を付けた。父親が地元新聞社のえらいさんだという広島出身のM君はランボー、同姓だが字が違うW君は猪八戒、小柄なロングヘアーのH君はミック(ジャガー)、僕は自他ともに認める普通野郎だったから、あだ名無しのナベちゃん。

 彼等三人は、こと女性に関しては積極的だった。地下食品売り場のあの子がイイとか、二階の婦人服売り場のあの子が好きだとか・・・それはそれは逞しい?連中だった。でも、不思議とみんな化粧品売り場の彼女たちには距離を置いていた。たぶん僕と同じで、エレベーター内でからかわれた経験があったからに違いない。

 僕がS先生やHさんのことを話すと、三人とも口をそろえて「ナベちゃん、そこは行かなきゃ!」と言った。僕が?顔をすると、「惜しいことをするね〜」と茶化した。真面目部類のこの仲間でもそう言われるのだから、僕は相当な世間知らずだったようだ。世間と言うより異性知らずの方が当たっていたのかもしれない。そりゃあそうだわな、中学のバスケ部の部室での性的会話にチンプンカンプンだった僕なのだから・・・。

 その中でも、M君は積極的だった。目的の彼女が従業員食堂に行った時には、僕に運転の代わりを頼んで、食堂に行ったらしい。そして後で聞くと、食堂のピアノに向かって無茶苦茶に鍵盤を叩きまくったらしい。他の二人に聴けば、とてもジャズとは程遠い無茶苦茶な演奏?だったらしい。そんな求愛もあるのかと、僕はただあきれるばかりだった。後に、僕にメモ渡しを頼み、丁重なオコトワリを頂戴するという結末だった。

 僕はと言えば、地下食品売り場の子と二人っきりになったことがあった。そして図らずもドアの開く直前に彼女からメモを手渡された。ちょっと顔が赤くなっていたように思えた。メモの内容は「え〜!」だった。いつもいつも鈍感で、片想いで満足している僕にとっては、びっくり仰天の告白だった。




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京都ラブストーリー?

 京都生活の再開で、落ち着きが生れた頃、激動?の隠岐の島生活を思い出す日々が続いた。叔父は酔っぱらうと常に僕に言った言葉がある。「秋夫、お前は世捨て人みたいな奴やなあ・・・」これには特別、反感を抱いたわけでもない。むしろ肯定的に受け止めていた。現実、仕事上で手を抜いたり怠けたりすることは無かったし、あるとすれば、夜、独りになった時に星空を見上げて物思いに耽る場面を見られたことがあったからだろう。大袈裟な意味じゃなくて、僕はあの瞬間、あの世の母と魂の交信をしていたのだから・・・。

 英会話教室のHさんに奈良旅行に誘われた。彼女は美容師でフランスへ行くんだと言っていた。行き先がフランスなのに何で英会話なの?と思っていたのだが・・・。
彼女は明るく開放的で、これまたリカ的雰囲気の女性だった。誘われるままに出かけると、手作り弁当も見事に整えられていて、久しぶりに開放的な楽しい一日を過ごせた。またしても年上女性にリードされっ放しの僕だった。「何考えてるの?」「何しにアメリカへ行くの?」「何に成りたいの?」この質問攻めには閉口したが、問われてみれば、明確な骨格が定まっていない自分に気付かされた。

 数か月後、キャサリン先生がお産のためお休みとなり、またステッファニー先生との再会となった。S先生は、深いことは問わずにまた個人レッスンを再開してくれた。肉体労働で日焼けした僕の顔を見て、どういう意味か判断しかねたが、親指を立ててウインクした。僕もつられて同じ仕草を返した。

 鈍感極まりない僕だが、先生の微妙な変化は感じ取れた。彼女の私生活に何らかの問題が発生しているのは明らかなようだった。それは時折見せる寂しげな表情だったり、レッスンに集中できない仕草だったり、様々な場面場面に現われるようになっていった。

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