京都生活の再開で、落ち着きが生れた頃、激動?の隠岐の島生活を思い出す日々が続いた。叔父は酔っぱらうと常に僕に言った言葉がある。「秋夫、お前は世捨て人みたいな奴やなあ・・・」これには特別、反感を抱いたわけでもない。むしろ肯定的に受け止めていた。現実、仕事上で手を抜いたり怠けたりすることは無かったし、あるとすれば、夜、独りになった時に星空を見上げて物思いに耽る場面を見られたことがあったからだろう。大袈裟な意味じゃなくて、僕はあの瞬間、あの世の母と魂の交信をしていたのだから・・・。
英会話教室のHさんに奈良旅行に誘われた。彼女は美容師でフランスへ行くんだと言っていた。行き先がフランスなのに何で英会話なの?と思っていたのだが・・・。
彼女は明るく開放的で、これまたリカ的雰囲気の女性だった。誘われるままに出かけると、手作り弁当も見事に整えられていて、久しぶりに開放的な楽しい一日を過ごせた。またしても年上女性にリードされっ放しの僕だった。「何考えてるの?」「何しにアメリカへ行くの?」「何に成りたいの?」この質問攻めには閉口したが、問われてみれば、明確な骨格が定まっていない自分に気付かされた。
数か月後、キャサリン先生がお産のためお休みとなり、またステッファニー先生との再会となった。S先生は、深いことは問わずにまた個人レッスンを再開してくれた。肉体労働で日焼けした僕の顔を見て、どういう意味か判断しかねたが、親指を立ててウインクした。僕もつられて同じ仕草を返した。
鈍感極まりない僕だが、先生の微妙な変化は感じ取れた。彼女の私生活に何らかの問題が発生しているのは明らかなようだった。それは時折見せる寂しげな表情だったり、レッスンに集中できない仕草だったり、様々な場面場面に現われるようになっていった。