現実は、捉え様によっては、単調極まりない世界かも知れない。
だけどもう一方、捉え方によっては、複雑怪奇な世界を生み出す。
人は皆、単純単調とも言える現実社会の中で生きている。
それがすべてだと思い、いや、それがすべてだと観念して生きている。
僕はそうとは思わない。己の心の持ち様次第で、世界は一変する。
しかし、実存主義と言ってしまえばそれまでの話なのだが、僕的に言わせてもらえば
果てしなく繰り広げられる夢世界を、いとも簡単に葬り去るのは勿体ない。
波長の違いと言ってしまえば、それまでの事。
僕的にも、それをどうこう言う資格はない。
むしろ、「知る人ぞ知る」で納得する。
人は皆、孤独だ。いや、僕だけか?
嘘と欺瞞と稚拙な演技で形成された「現実」に憐れみの感情さえ覚える。
何故か突然、「ボーッと生きてんじゃねぇよ!」とチコちゃんの声が木霊した。
ウエブ上の「なりすまし」や「乗っ取り」は後をたたないけれども
その手口もだんだん巧妙化してきて、一昔前のように即座には見破れない。
ただ言えることは、彼ら(彼女ら)がやらされているという点だ。
必ずどこかで小さな「ほころび」が露呈する。 さらに加えれば、
おそらくは、いくつもの件数をこなしているのだろう、自身や相手の名前や
ニックネームが混同してしまったり、全く別人に返答したりが起こる。
そしてやがて、「こりゃ見込み無いな」となったら、あっさりと退散して行く。
それはそうとして、僕が考えるのは、「乗っ取られた人」「成りすまされた人」
のことだ。特に写真~これは深刻さを内蔵していると思う。とは言いながら、
僕でも判断しかねる「友だち」も存在するわけで…。
結論的に言えば、「君子危うきに近寄らず」ってことかな。
何気ない言葉や文章からでも、人の心は読み取れるものです。
書いた、話した本人が意図しなくとも、心は伝わり来るものです。
ちょっとした字句やちょっとしたトーンの中に、心は読み取れるものです。
だからといって、逆も又真なり~と行かないのがこの世の中。
そこまで言わすか…となった時には、僕は大概口をつぐむ。
何故なら、その段階ですでに心の通信線は、遮断されてしまっているから。
逆を言えば、今の世は一から十まで現実に声に出して言葉に置き換えなければ
伝わらない時代だから…。
「一を聞いて十を知る」が通用するのは、はるか遠い昔の夢物語なのだろう。
実の夫婦でさえ、実の親子でさえ…。
そう考えれば、目と目で会話が出来て、言葉なくして心が通じる【あなた】が
いるというのは、なんと幸せなことだろう。
○いい年をした男が、餓鬼のころからの淡い思いを未だに引きずっているというのは
恥ずべきことに違いありません。
○くだらない美意識を後生大事に持ち歩いて、すべてを自分が定めた様式の中に
おしこめようとして…
○二十代の初めのころからだろうか、私は自分が長い旅をしていると思うことが
よくあった。帰る場所のない旅、行き着く先の想像もつかない旅である。
「欲望」小池真理子
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一小説の中の何気ない一文であるが、自分のことを言い当てられているようで、
傍らのメモ帳に書き記した。自分だけではないんだという安心感と同時に、
言い当てられてしまった気恥ずかしさと…
しかし、小説の構成上欠かせない韻文であることは理解出来る。
こういう男はたしかに存在するのだ。生い立ちやのその後の性的行動も含めて…。
まるで自分がこの小説の題材になったかのような錯覚に陥る。