
そもそも「結婚」とは何だ?
「夫婦」とは何だ?
と、今更ながら考える時がある。
その所以は、読み漁る(まさに!)本たちの中に炙り出されてくる。
一方で、何人もの離縁者(夫婦わかれ)を身近に抱いている。
それを実行に移す年齢にも関わることなのだろうが、概して
女性の側の方が積極的(?)、能動的である。
天秤のかけ具合…と言ってしまえば、それまでのことだが、
概して……女は強い!
表向き(社会的に)夫婦の形態を保っていても、心はもはや離反、自立している
女性たちは、僕の身近に存在している。あの人もこの人も……。
経済力の問題を外せば、その率は何増倍にも膨らむだろう。
概して……女性は強い!それは称賛に値する。
僕は作家でもないし、評論家でもないが、そこらの心理変化には敏感なつもりだ。
僕なりの結論!
常に一緒にいる存在よりも、ごく稀に会う存在の方が、はるかに刺激的である。
「むっつり助平」という言葉がある。
僕はその言葉をもろにぶつけられたことがある。
彼は当時の一方的片思いの彼女が、僕に気があると邪推してのことだった。
そのような事実はあろうはずもなく、僕はただ耐えるしかなかった。
生来、その方面では鈍感極まりない僕は??であった。だって当の本人とは
言葉も交わしたこともなかったのだから……。
しかし、事実はそのまた逆だった。
対象の彼女との距離が急接近したのだった。
いつもの習性で、僕は遠くから見ていた。人も物事も……。
ところが、彼女は違っていたのだ。
僕の形無き習性を、もろに受け止めてしまったのだった。
成就と言えば成就、悲劇と言えば悲劇。
またやらかしたか!
これは卒業したはずだった。
自分の心の中だけのドラマのはずだった。
不思議な現象だ……。
意は現に成る。
この時ほどテレパシーを如実に意識したことはない。
僕はこの世の【雑事】とまでは言いきる自信は無いが、一種の厭世感の中に
あることは確かなようだ。 政治にしろ何にしろ、滑稽極まりない茶番劇としか
映らない。責める側も責められる側も……。
それは、日本国で言えば、わすか数百年前とも何ら変わることはなく、
地球規模て言っても、同じことの繰り返し。
大局的に言えば、自ら発明したモノに牛耳られ、抹殺されようとしている。
この悲喜劇。
そのスケールは、自分の数メートルの範囲でさえ同類としか言いようがない。
人類は人類が首を締める。
人間は自らが首を締める。
それを歴史の大展開の中で、どれだけの人が実感しているのだろうか?
凄まじいはかりの世の中の変遷、展開の中で、動じないとする自分が、
果たして正解なのか?正論なのか?
「一切の善 一善に帰す」が、禅問答のように心の中を駆け巡る。