夏が来れば想い出す。
離島の満天の星空。透き通った海。何度も溺れかけた浜辺。
ぐるぐると回るばかりの櫓漕ぎ舟。笹竹の釣り竿。
タコ糸のような釣り糸。
母親の着付けで女装して参加した盆踊り。
灼熱のテニスコート。
追い掛け回した磯蟹。
あきちゃん〜同名揃いの同級生。
手作りの竹鉄砲。杉の実の鉄砲玉。
かぶりついた小梨。
氷のように冷たい谷水。
蚊帳と蚊取り線香。開けた浴衣。
縁側での夕涼み。西瓜の冷たさ。
墓道の薄暗い怖ろしさ。
糸が切れたままのじいちゃんの三味線。
ばあちゃんの唄う味のある地元民謡。
蝋燭とランプ。
火の無い囲炉裏での食事。
隣国語と混線するラジオ。
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夏休みしか帰れなかった小学生、中学生時代。
「○○と煙は高いところを好む」と言うけれど
これまでの人生で、住む家と言えばほとんどが高所と言っていい。
生まれ故郷の島の家は、湾を見下ろす坂道の頂点にあったし、
、
父が建てた家も、街の丘に位置していた。
青春時代のアパートは、京都市街を見下ろす場所だった。
夜、西方に見える京都タワーを中心とした夜景が素敵だった。
結婚して間もなく移り住んだ家も、竹藪を切り開いた高台だ。
真正面に比叡山が見え、朝、昼、晩と変わりゆく景色に飽きることはない。
どの時代の、どの場面でも、この場所位置が無かったなら
おそらくは、とんでもない息苦しさを覚えるだろうと・・・。
時には、ハンドルを握らず、自分の足で地を踏みしめて、
緩やかな坂の感覚を楽しみたい。