それは6年前。私が初めて候補者というものになった時のこと。
朝の駅頭には複数の政党の人たちが立っていた。たくさんの通勤客が行き交う
中に毎回通る外国の方がいた。肌の色は黒。何ヶ月かすると、私はその男性と
仲良くなっていた。忙しい朝だけど、必ず短くても話をしてくれる。「僕は
建設工事現場で働いている。体はキツイけど、仕事はたくさんある」と。
日本語はペラペラだ。不思議なことに、他の候補者は彼に挨拶もしなければ
チラシすら渡さない。外国人は票にならないと思っているのか、無意識に
スルーするのか、それはわからない。
選挙本番になった朝、彼が私に言った。「僕の家族は日本人の妻や子供を
入れて6人。全員選挙権を持っている。僕以外は投票できる。紫野さんに
入れるよう頼んで、みんなOKとなったからね、5人入れるよ、だから
勝って!」涙が出た。そして結果が出た翌朝、「良かった!みんなで応援
してたんだよ!」と大喜びしてハグしてくれた。何がきっかけになるか
わからない。けれど、人と人とは繋がり合える。選挙権があってもなくても、
そんなの関係ない。この国はたくさんの人間がいて成り立っているのだ。
選挙の度に思い出すエピソードだ。
三鷹市市議会議員 紫野あすか
この街に住んで、もう半世紀以上が過ぎてしまった。
子供たち、孫たちにとっては、この街が故郷だ。
僕には生まれ故郷や育った街の思い出はあるが、さすがに五十年以上も
住み続けると、この街への愛着はこびりついてしまっている。
いろんなことがあった・・・
いろんなひとと出会った・・・
いろんな人と別れた・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
♪さりげないやさしさが
僕の胸をしめつけた
この街で僕を愛し
この街で僕を憎み
この街で 夢を壊したことも
君はきっと忘れるだろう
それでもいつか どこかの街で会ったなら
肩を叩いて 微笑みあおう
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♪街の角 喫茶店
古い美術館
山かげの細い道
初恋の涙
この街が好きさ
君がいるから
この街が好きさ
君の微笑みあるから
何気ない言葉や仕草の中にこそ、その人の本質がある。
意識すれば言葉を選ぶし、書き物であれば読み返しもする。
裏を返せば、思ってもいないことは言葉として出てこないということだ。
まさしく「覆水盆に返らず」
政治家の失言が話題となっているが、これとても同じこと。
失言と言うよりは本心(本音)ということだろう。
ごく身近なところでも、似たようなことが起こっている。
僕の場合、受け身の立場が大半なんだが、「ああ、やはりそういう奴か」
にたどり着く。諫めはしない、そういう奴として見切ることにしている。
自分への言い聞かせとしては、「思いやり」や「心遣い」を言葉に
込めたいと思っている。ごく自然な形で。
かわらない風景というものは、時に残酷な面を持っている。
♪嵐の中に 人の姿を見たら
消え入るような 叫びを聞こう
わかり合うよりは たしかめ合う事だ
季節のめぐる中で 今日をたしかめる
越えて行け そこを
越えて行け それを
今はまだ 人生を 語らず
喧嘩しよう
正々堂々と喧嘩しよう
土俵下で野次ってもしようがない
応援席で野次ってもしようがない
土俵に上がろう
リングに上がろう
ある事ない事
言われっぱなしでは引き下がれない
さあ!来い!
グローブは要らない
張り手でも何でも受けてやろう
君は僕の必殺技を知らない
闘わずして勝負は決まっている
しかし、より強く知らしめるために
あえて・・・戦いの場は設けられる
必殺!
一発K.O
あなたは・・・僕を甘く見たようですね
僕は現代の「必殺仕事人」なんですよ
あれは僕が結婚をする前の頃だったろうか?
父は手紙の中で「おまえは、<脱出>の名人だな・・・」と
誉め言葉なのか諫めの言葉なのか・・・分からないような一文があった。
たしかに僕にはその歳までに、一度と言わず二度、三度<脱出>をした。
自分的には・・・
「孤独になろう・・・自分を見つめよう・・・」だったのだが
された側からすれば「なんて身勝手な」「迷惑この上ない」
行動であったに違いない。
<脱出>は殻を破る〜最短、最善の道だ。
<今>は・・・
躰ごとの脱出ではなく、心の脱出だ。
それこそが真の<孤独>と言うものだと確信している。
悲しいかな、もはや思考的成長は止まってしまったのだろうか。
久しぶりに会った友との会話、前回とそのまた前と同じ内容の話をしている
自分だった。それを固定化した己の考えと言っていいのか、それとも何の
成長もない己と言えるのか・・・僕は後者のような気がしてならなかった。
他人の批評を己の餌にしているようでは、真の意味で心は満たされない。
この年になって、知的成長なんて口にする方がおかしいかもしれないが、
自分の中ではなんとも煮え切らない消化不良感が続いているのだ。
お前の信条は、
「いつも青春 いつも青春 いつも心の流離い」
ではなかったか。