年齢とともに人との接点が減少し始めていることに気付く。
そのことに反比例して、非現実的な世界への没入が日常化する。
読書や空想(妄想)やアプリ将棋や音楽や…
小説の中の類似体験が想像力を掻き立てる。
文中の登場人物を自分や知人の名前に置き換えるだけで
そのまま作品として成り立つことに、ちょっとした驚きを覚える。
小説の題材というのは、そこら中に転がっているんだなと、ひとり納得する。
様々な別離が生み出す様々な悲喜劇、事件、、、
非日常を生み出したりネット社会の繋がりが日常化してしまった時、
バッサリと瞬時に全てを遮断する。
日本刀で藁人形の首を跳ばすように。
音の消えた静寂とは異質の静けさが我が身を包み込む。
これまでのネット上でのやりとりが、滑稽にさえ思える。
騙し騙されのくだらない説話が、いとも簡単に空中分解する。
なりすましや乗っ取りや誇張や搾取や…ありとあらゆる欺瞞が
くだらない垢かゴミのように消え去って行く。同時に、
踊り踊らされた己の化身が、人形のようにゴミ箱に投げ捨てられる。
再生と言うのはおこがましい。反省というのも情けない。
取り戻した自分を、もう一度見つめ直す。
間接照明、間接風、そして、、、
間接表現~ワンクッションおいてみよう。
直接表現では、刺がある。予期せぬ喧嘩も生まれる。
もしくは、発しようとした言葉を一度飲み込んでみよう。
時間的にも表現方法でも、一捻りしてみよう。
覆水盆に返らず~出してしまったらもう戻らない、やり直せない。
しかし一方で、
「遠回しに言わないで、はっきり言ってください!」
という人もいるのは確かだ。かなりの確立で。
どちらを選ぶか?
臨機応変に~としかいいようがない。
僕の場合は…
顔はそのまま悠然と、心でシャットダウンする。
全方位外交は、遠い昔に卒業したのです。
「小さい時に失われて、生涯決して手に入れることのできない母性」
これが僕の人生の命題であり、根幹を成しているものだ。
年齢を問わず、関わる異性のなかに、その母性的なものを暗黙のうちに
感じ取ろうとし、また求めようとする自らの本質は、考えようによっては
異常と言えるのかも知れない。
逆の立場のひともいるだろう。つまり幼くして父親と死別もしくは
生き別れになり…というように。
いずれにしても、そうした無いものねだりは誰にでもあるわけで…
しかしながら、その一種欠落した性分の中から、宝石のような精神の結晶が
生まれたりもするわけで…
外面上、何の不自由も欠落もない、恵まれた環境下で育っても、その家庭の内に
漂う空気の成分によっては、全く異質なものを生み出したりもするわけで…
【自己風刺】とは、
自分自身の欠点や弱点、特有の癖を、あえて誇張し
ユーモアや皮肉を交えて笑い飛ばす表現方法
…とあるが、なんとなくそれに近い感覚で生きてきたように思う。
…でなかったら、ここまで生きては来なかっただろう。
言葉を変えれば、いつも言うように「二人の自分」の
共存とでも言おうか…そこが互い?の緩衝材、クッション、
逃げ処なのだ。
己を如何に客観視するか…そこに答えがある。
逆にソレが出来ない人は、自爆する。もっと高じれば
他人に害を及ぼす。腹癒せというか、自爆でも止めの効かない
過大なエネルギーのために…それはそれで本人は納得かも知れないが
迷惑なのはソレを向けられた側である。かすり傷程度ならいいが
打ちどころが悪くて、内出血や捻挫でもしようものなら、どこにその
責任追及を向ければいいのだい?
○○に点ける薬はない~と言うけれど、全く傍迷惑この上ない。