ボケてしまった人間に、己の犯して来た罪の懺悔は出来ない。
形式的に謝罪したところで、そこに真心がない限り、相手の胸に響かない。
鏡に映る自分の顔の相を見てみるがいい。
その顔に怖れを抱きなさい。
その顔に涙を流しなさい。
それさえも出来ないでしょう。
何十年もの蓄積された黒い芥が、あなたの心を覆い尽くしているのです。
虚ろな眼で周囲を見渡す目線の先は何ですか?
何が見えますか?
誰が見えますか?
懺悔は、懺悔する心のあるうちにすべきことなのです。
今の僕は、心的には戦闘準備態勢にある
槍や刀なら答えは早い
しかし、それらは使えない
徹底した心と言葉の闘いだ
単純な客観視なら犬死にと映るだろう
でも、行かねばならぬ
心に鎧と兜を纏って
悲しいとき
寂しいとき
空しいとき
元気をくれるのは あなたの笑顔
僕の作り上げた偶像か
複数の顔が重なる
想い出は、不思議な偶像を作り出す
内部告発した側が抹殺される現実社会。
「正義」とは何だ!?
最初は「勇気ある」とか「そうだ、そうだ」とか持て囃されて
結局は世間から追い出され抹殺される。
業界とはそういうものだ。
大きなパワーの業界保身が働くわけだ。
「師 師たらざれども、弟子 弟子たらざることなかれ」
と教えられてきたけれども、これがまた難しいこと限りない。
また、「この世で巡り合うべき人には、必ず巡り合う」とも教えられてきたけれども
もうそれを超える人は現れないのだろうか?