ゴールラインとは言い難い、一つの区切りと言うべきか。
これまで当たり前のように存在した様々な事柄にストップがかかる、消えて行こう
とする。暗闇とまでは言わないが、先が見えない。
それらが自分原因なのか、他の原因なのか、それは僕にはわからない。
いずれにしても、ストップ現象が起こり始めている。
現実社会は、あたかも何事もないかのように動いている。しかし、
目を凝らせば、他人様もストップしているし、辞めて行くし、
極端を言えば死を選択する。
僕は死なない・・・が・・・行き難いことは確かだ。
ユックリズムとは、実はスピードのことではなく、成長の質の問題なのだ。
「ゆっくり成長する木はたくましい」
時間をかけ、根をしっかり張り、引き締まった年輪を刻みながら大きくなる。
こういう木は、風や虫にも簡単には参らない。
深代惇郎
贔屓(ひいき)というのは
何に由来するのでしょう?
共感でしょうか
自分との同化でしょうか
本質的な部分での共鳴でしょうか
役者で言えば、役柄を越えて伝わってくる心がある
それでこそ真の役者と言えるんじゃないかな
卓球・・・平野美宇
相撲・・・若元春
歌手・・・吉田拓郎 琴風豪規 堀内孝雄 高橋真梨子 竹内まりや
俳優・・・高倉健 大泉洋 寺尾聡
女優・・・吉永小百合 田中美佐子 風吹ジュン 原田美枝子
タレント・タモリ リリーフランキー 山口智充
漫才師・・サンドイッチマン
パタリと音信不通を現実のものとした人がいる
本人にあるいは伴侶にあるいは家族に、何かあったのか
それを確かめる術もない
またそうする理由もない
過去の出来事はすべて
想い出のアルバムに閉じ込められて行く
己を知っているようで、実の己が解らない
あれも、己のような・・・
これも、己のような・・・
それで定まらずと決めつけるのか
それでこそ己と達観するのか
複雑怪奇な自分
外視線に振り回されないことだ
秋元康は「象の背中」で書いている
・・死を覚悟した象は、独り静かに群れを離れ、死に場所へと向かう・・
阿久悠は「時代おくれ」で書いている
・・好きな誰かを想いつづける・・ひとの心を見つめつづける 時代おくれの
男になりたい・・
男の美学とでも言うのだろうか
若い頃のような直情型でもなく
一歩も二歩も引いたところから
物事をそして人を見る
優しすぎるくらいの眼差しの奥に宿る鋭い視線
そして情愛
届いてますか?・・・この想い
伝わってますか?・・・この眼差し
逆境と言えるかどうか、それは微妙だ。
主観と客観で、意見は分かれるからだ。
大方は冷静な目として客観に軍配を挙げるだろう。
しかし、この段階での主観と客観の闘いは微妙極まりない。
奇跡の大方は、客観視を崩した時にこそ起きるからだ。
さて、さて、さて・・・
クールに見つめよう。
あの光が見えるかい?
先に出かけたはずの君の姿が見えない
反対方向を見れば、もうはるか向こうを君は歩いている
確信したような足取りで
声は届かない距離だ
いずれは合流するはずの道ではあるが
なぜか逢えなくなってしまうような気がして
僕は君の後を追うことにした
追いつけそうもない足取りで
気持ちだけがやけに焦っていた
目覚めると
かすかな疲労を伴ったけだるさを覚えた
まるで歩き疲れたかのような
まるで気疲れしてしまったかのような
心の中に内在する不安と希望の夢化なのだろうか
それにしても君の足取りは確信に満ちていた
対して僕のそれはどうだ
何とも心許ない歩みではないか
気持ちは走っても足は走らない
不自然になぜか呼吸は荒い
これがあの疲労感の原因か
夢の中の出来事でも体は疲れるんだ
シャワーでも浴びるか
重い体で立ち上がる