アルバイトを終えてバス停までの帰り道、雨が降り始めていたが、それでも僕は殊更ゆっくりと歩いていた。そう殊更に。本通りとは違う細い道なので、通る人もまばらだ。バス停まであと数百メートルとなった時、後からコツコツコツと靴音が聞こえてきた。この靴音に僕は確信した。それはバイト先で気になっていたYさんなのだ。これまで何度か後ろから見かけたことがあった。僕はバスだけど、彼女は電車であることも知っていた。
ふり向きたい気持ちを抑えて歩いていると、不意に赤い傘が頭の上にかけられた。無言だったけど、まるで「濡れますよ」とでも言うように。横顔を見ると目が優しく笑っていた。「ありがとう」の気持で、僕はコクリと頭を下げた。背丈が違い過ぎるので、僕は傘を受け取って彼女に半分以上被るようにして歩いた。
言葉を発しようと思ったけど、それを遮るかのように駅に着いてしまった。バス停の屋根の下で、僕は傘をたたみ返そうとすると、彼女は初めて言葉を発した。「私、折り畳み傘があるから、それ使ってください。バス降りても歩くんでしょ?」有難い言葉だった。「じゃ、遠慮なく・・・」と言って、二人は別れた。
バスに乗って、場違いに思える赤い傘を手に持って、窓に映る僕の顔は少々にやけているように見えた。前の席に座っている女性が、傘と僕の顔を見て、ちょっと笑ったような気がした。でも、僕にはそれさえも嬉しく受け止めることができた。バスを降りたら、ルンルンルンなんてスキップでもしそうな気分だった。
今日は、我が母の祥月命日
もう七十数年の時が流れた。
享年33歳だから、年齢的には、はるかに逆転しているわけだが、どういうわけか、僕の心の中では、そのイメージの逆転は起こらない。起こりようがない。
いくつになっても母は母。いつも天空から優しく見つめ続けてくれている。
念ずれば、その想いは霊界を駆け巡り、辿り辿って必ずやその目的の霊に到達すると聞く。
僕の想念が辿り着いた時、その想いが人体と化し、母の胸に飛び込むことが出来るだろうか。
この世の孤独は、特別耐えがたきものとは思わない。少なくともこの僕は。
僕の想念はあの世とこの世を往来する。光年の単位を押し付けられても、自由に飛翔する。
教えられた通りとすれば、母は光と花園の中にはいない。しかし、この僕が行って手を握れば、その場は一転するはずだ。
常盆常彼岸…その弔いが母をひとときの寂光に導く。
昔なら…
雨が降れば、濡れて行こう
風が吹けば、顔で受け止めよう
今は、そんな悠長なことは
言ってられない
どっちにしたって半端じゃない
50年に一度の警報が実感できる
ああ、やはり…
昔は良かった
もう一度、天を仰いで雨粒を顔面で受け止めてみたい
日常を取り戻す
非日常的なこととサヨナラする
日常を平凡で味気ないと思わないことだ
日常の中に如何に諸々の鮮度を高めるか
それが問題だ
浪漫飛行は夢の中で
web上の交信をしていて思うことは
言語の特異性
そして、それが齎す伝達の妙
異国の人が翻訳述を活用して伝えてくる
当然ながら、英語、中国語は言葉に棘が付いてくる
直情的、断定的・・・
逆にこちらの日本的な曖昧さ、微妙な感性には
???が返ってくる
此処に根本的な国民性、思想性の違いを意識する
優柔不断のダメ男の僕でも
意外なほどの決断、決行もあったのです。
ギリギリまでは動かない、いや動けなかったが正しいか。
尻に火が付かないと動かないということかも知れない。
それでも結果、僕は動いた、決断した、決行した。
当然ながら、跳ね返りは激しいものがある。
それは覚悟の上。
それを快感とまでは言わないが、受けて立つ自分が居る。
これまた逆を言えば・・・
他人は、自分が思うほどこっちのことなんか思ってはいないのだ。
自惚れは大きな落とし穴が待っている。
詐欺師たちの大海原で、仰向けに浮かんで脱力する。
その一見無防備と思える裸身にクラゲたちの針は刺さらない。