近視眼的でなく、大局的に
衝動的でなく、熟慮して
利己的でなく、利他的に
出逢うべきひとには、必ず逢える
その想いを、強く強く持ち続ければ
僕は、本能的に避けるべきものは避ける
人であれ、事象であれ
更に言えば
念ずれば通じる、必ず
忘れかけてた
この青空を
僕の心に
広げてみよう
雲が心の翳りなら
秋風に吹き飛ばしてもらいましょう
でもほんの少しだけ
山の端に残してもらいましょう
それが僕らしさというものです
ある意味、批判は容易いことだ
批判のしっぱなしであれば…
批判を批判に止めず、相手に改心、改良を求めることが難しい
しかし、難しいからと言って尻込みしていたのでは、もっと悪い
…とは言いながら、いざ!となれば、やはり躊躇してしまう
己可愛さは誰にてもあるだろう
捨て石に成りきれるか!?
首相の演説に心は動かない。
原稿を読むだけの言葉の上での丁寧さだけでは、ひとの心に響かない。
少なくとも、特別な専門用語以外は、聴衆をしっかり見て話すべきだ。
一般人にしたって、ひとが話を聴いているか否かくらいは解る。
表面上だけの「丁寧」や「真摯」や「確実に」が空しく響く。
生きた言葉を語れることが、その立場の器、度量の物差しとなる。
顔の相は、インスタントでは変えられない。
蓄積された経験が、正にしろ負にしろ、顔の相に現れる。
「良い顔してるね」と言われたいものだ。
「なに、あの形相は?」と思われても、
ひとは口に出しては言ってくれない。大人社会では特に。
時には、鏡に映る自分自身に問いかけてみることだ。
「しっかりしろよ!」
「何処向いてるんだ?」
「独りよがりになるなよ!」
指で眉間の縦皺を伸ばしたって、そう簡単には消えやしない。
ボケてしまった人間に、己の犯して来た罪の懺悔は出来ない。
形式的に謝罪したところで、そこに真心がない限り、相手の胸に響かない。
鏡に映る自分の顔の相を見てみるがいい。
その顔に怖れを抱きなさい。
その顔に涙を流しなさい。
それさえも出来ないでしょう。
何十年もの蓄積された黒い芥が、あなたの心を覆い尽くしているのです。
虚ろな眼で周囲を見渡す目線の先は何ですか?
何が見えますか?
誰が見えますか?
懺悔は、懺悔する心のあるうちにすべきことなのです。
今の僕は、心的には戦闘準備態勢にある
槍や刀なら答えは早い
しかし、それらは使えない
徹底した心と言葉の闘いだ
単純な客観視なら犬死にと映るだろう
でも、行かねばならぬ
心に鎧と兜を纏って