小学生のころ、よく魚釣りに行った。家から15分も歩けば、シジミで有名な宍道湖があった。
湖に流れ込む川の浅瀬で、餌になるゴカイを採って、干拓工事のための堤防に腰をおろして、釣り糸を垂れた。
いわゆるハゼ釣りだが、地元ではゴズと呼んでいた。「なぁ、ゴズ釣りに行かぁや」が合言葉だった。フナやボラも釣れたが、やはりどういうわけかゴズの方がおもしろかった。大きさの割には引きが強くすばしこいってところが魅力だったのかもしれない。 夕暮れが迫って、ウキが見えなくなるまで遊んだ。
何年生の頃だったろうか・・・教師だった父に叱られた。「おまえ、教科書全部学校の机の中に置いて帰ってるらしいな」僕はだまって答えなかった。本当の理由は・・・カバンがなくて風呂敷に教材を包んで通っていたことに嫌気がさしたことだった。父はそれ以上何も言わず、僕の頭を指先で突いた。父と担任のT先生は、同じ国語が専門の知り合いで、何もかもがバレバレだった。
そのT先生のおかげで、僕は目覚ましい活躍の場を与えられた。当時始まったばかりの視聴覚教育の先端とも言うべき放送部のアナウンサーに抜擢されたのだった。真新しい放送施設を通して、自分の声が全校に流れるのは、何とも言えない快感だった。
更には、全国放送教育なんとかいう大会が開かれた時には、会場を回るバスのなかでの様々な案内放送という大役を、同じ組だったMさんといっしょにさせられた。後年、帰省した時、父の書斎でその原稿類を発見した時、何とも言えない感慨に浸ったのだった。
どんなに長いトンネルでも
いつかかならず出口は見えてくるさ
どんなにひどい泥濘でも
いつかかならず乾いた土を踏む時が来るさ
大方は掌を返し
捨て台詞を吐き
行く路を塞いだ
残された廻り道は細く曲がりくねり
強い流れの河に橋は無かった
無意味と思える関所が続き
越えるべき峠は険しかった
朦朧とした意識の中で
与えられた一杯のコップの水を
一息に飲み干せば
暗闇は消え眩しいばかりの陽光が
僕を迎えた
誰だったのかコップの主は・・・
さあ これからでも遅くはない
また 歩き始めよう
どんなに どんなに
廻り道しかなかろうとも・・・
決して恨みなんて抱かないさ
決して泣きごとなんて繰り返さないさ
本当のどん底を見たとは思わないな
ただ・・・崖を滑落して
たまたま木の枝に引っかかった
そんな思いはある
現実か幻か
それさえもわからない時の狭間で