この部屋にお越し頂いている皆様、ありがとうございます。
日記帳のような・・・雑記帳のような・・・
自分にとっては、<心の落ち着かせどころ>のような場所です。
綴り始めてもう17年が経過しました。
自分の書き置いたものとはいえ、当初の方が新鮮に映ります。
どうぞ、<リンク>旧なべちゃんエッセー も覗いてやってください。
〇「母性愛欠乏症」と自虐的に書いたりしてきたが、幼くして母親を亡くした
男は、異性に対して、常に観念的で、bookishであるらしい。
〇何(誰)が正しくて、何(誰)が間違っているのか、先になってみないと
分からないことが多すぎる。ここらで深呼吸してみよう。
えっ!なのか、やっぱり!なのか
〇「世代とは、他の世代に対する敵対者である」 五木寛之
・・・同感なり・・・
〇「真のユーモアの源泉は哀愁である」 マーク・トウエイン
〇「アサガオの蕾は、朝の光によって開くのではない。それに先立つ
夜の時間の冷たさと闇の深さが不可欠である。」 アサガオ研究家
〇スローライフ ☆ シンプルライフ は、もはや死語か?
こんな時だからこそ!という自分がいる・・・
〇父 曰く 「九月一日は亡妻の日」
〇富の偏在・・・「点」を消して、無意味に広がり行く「面」の現実
〇「愛する」の対義語は(憎む)ではなく、「無視」「無関心」
だそうです。マザー・テレサでしたっけ?
〇誕生と言うことは、死への第一歩を踏み出すこと。
〇「人はみな泣きながら生まれてくる」 シェークスピア
〇「死ぬべき人間を死為さずに生かしておくことが、はたして
本当の医学の勝利なのだろうか・・・おだやかに死んでいくことに
導くのも医学の使命ではなかろうか」 五木寛之
〇プー太郎のころ、バイトが退けたら仲間たちと細い階段を昇ったところに
その店はあった。夜のスナックになるまでの小一時間、僕たちはコーヒー
一杯でジュークボックスを聴いた。ストーンズやデイ−プパープルが主だった
が、あの時!拓郎の「結婚しようよ」が、みんなにある種のショックを
与えた。それを機会にそれぞれが一人また一人と現実の中に組み込まれて
いった。長髪を切りネクタイを締め社会の入り口に向かうかのように・・。
〇起訴されなくても・・・事件性なしとされても・・・悪行は悪行。
次の選挙で当選させない!とその日まで思い続けることが、
平民の判決です。
〇しかし、それでも極悪議員ほど当選してきます。今の選挙制度
の下では・・・。そして「禊を受けた」「信任を得た」と
言い放つのでえす。歴史は繰り返す。
〇「こちら〇〇になります」という接客言葉〜正しいもでしょうか?
私はいつも???です。
〇こういう状況下に置かれると、「人生如何に生きるべきか?」
「人生の目的は何ぞや?」みたいな根本的テーマを突き付けられる。
見たくない・・・聞きたくない・・・・・・知りたくない・・・
ほどの今の情報社会よりも、程々に伝わっていた昔の方が
良かったような気がする。
〇この世は、理不尽なことばかり。しかし、嘆くまい、逆らうまい。
逆転の発想〜だからこの世は面白い・・・と思えますかな?
〇友 ひとり逝く ねがいは届かず
されど・・・握りしめた手の温もりは永遠に
死ぬに定めなしとはこのことか・・・
〇経済的貧困は恥ずかしいことではない。
恥ずべきは、心の貧しさ。
〇「真実はこうだ!」とか「裏の裏の真実!」とかが
表に氾濫してくると、一般平民は「へぇ〜そうだったのか」
「嘘だろう!」になっちゃう。嘘、デマの煽りをまともに
喰らっては堪らない。すべてこの世は騙し合い。
〇日本に、ボルトン氏はいないのか!?