僕は自身をフレキシブルな人間であるというのは自認しているが、
それを決して優柔不断な人間であると宣言しているわけではない。
内心「このガキヤ〜!」と叫びたくなることもあるよ。
それをグッと堪えていることを逆手にとって、巻き返しの論を張ってくる奴を
僕は赦せないね!真っ向勝負を挑みたい。
今まさに、政治の世界で似たようなことが繰り広げられているわけだが
○○に付ける薬はない!状態であって、敢て僕は敵前逃亡を演じて見せるわけだ。
言葉を選ばず言わせてもらえば・・・
「黙って聞いて居れば、好き勝手言いやがって!」となる。
さあ、大人げないのはどっちだい?
政治家と芸能人を同レベルで論じるのは乱暴すぎるかも知れないけれど、敢て言わせてもらえば、政治屋さんも芸能人的仕打ちを受けて当然なんじゃないかな!?いわゆるスキャンダルで追放されたり抹殺されたりする人たちは大勢いるわけじゃないか。それに比べて、政治家は自分が逮捕さえされなければ、それを傘に堂々と大手を振って歩いてござる。
そこへもってきて、たとえ一票差でも比例復活でも、当選さえしてしまえば、禊完了とばかりに表舞台に復帰してくる。本人も本人なら選ぶ人も選ぶ人だ。同じ価値観の持ち主と言うわけだろう。徹底した利益代表選びということか。
真っ白の善人だけではこの世は成り立たない。真っ黒も超灰色も何もかもあってのこの世の中だ。その鬩ぎあいで世の中は成り立っている。当局のお世話にならなければ、何をやってもいいじゃないか!的な人間もそこら中にうようよと居る。
○○につける薬はない〜と言うけれど、これが世の中だ。これが浮世だ。そうした悪人どもの構成比率が高ければ高いほど、この世は荒れ放題ということになる。世紀末や末法と言った警鐘的言葉も、もはや死語になってしまった。霊的に言って所謂「悪人」のみ生まれ来るこの時代に、希少的存在の人間がどう対処しどう活動しどう拡大してゆくのか?行き着くところまで行かなければ、本当の恐ろしさは分からない。そしてまた、それに気づいた時にはもはや手遅れと言うわけだ。