あなたとのキーワードを問われたら
「クシコスの郵便馬車」と答えるでしょう
逆に僕が問われたら
「みどり」と答えたいところですが
なぜか「花のまわりで」と答えたくなるのです
あなたのハーモニカ演奏に惹かれました
大勢の合奏団なのに、あなたはひと際輝いていた
顔の半分もあるかのようなハーモニカ
半音絡みの上下操作がとても巧みでした
合唱団の僕のソプラノはどうでしたか
何の歌でもそうですが
実のところ僕はアルトの音階が好みでした
引き立て役っていうのが性に合っているのでしょうね
それはこれまでの人生でも引き継がれています
役者で言えば「脇役」です
小生意気ですが名脇役的存在でありたいのです
小学校はずっと同じクラスで
委員の学期も同じでしたね
そして高校三年生でまた同じクラスになりました
でも・・・ハーモニカのことなど
あなたはまったく覚えてはいないでしょうね
僕は小学生の六年間で
人生の凝縮版を演じきったような気がしています
自衛隊のヘリコプターに
僕はなぜ全校の代表で乗ったのでしょう?
秀才君はたくさん居たのに・・・
放送部アナウンサーとしてのコメントが求められたのでしょうか?
大山への遠足の写真で、僕の真後ろにいる笑顔のあなた
あれは偶然だったのでしょうか
思い出せば・・・あなたからのプレゼントをもらった時の失態が
大きなだピリオドになったと悔やまれます
あの鈍感男は、その後もずっと健在?です
「そのガキっぽさがイイ」なんて人は、もう一人もいないと思います
「還暦同窓会」がチャンスと思い、帰郷しましたが
なぜかあなたは欠席でした・・・
ふたりの「あきちゃん」の思い出話です

「心の時代」と言われて久しいが、
もうそれは死語となってしまったのだろうか?
そして今は何の時代と呼ぶのだろう?
でも僕的には、時代、時代に「心の友」は現れる。
その人自身が気付いているか否かは問題ではない。
此方の過剰な思い込みもあるのかも知れない。
でも、相思だと分かった時は、何増倍もの歓びになる。
これは僕の変わらぬ習性なのだろうが、
いつも遠くから見ている。
距離の問題ではない。
心は、テレパシーは、
はるかな距離を凌ぎ時空を超えて突き刺さる。
それを実感、体感した時の歓びは、何物にも代えがたい。
ひとは僕を「掴み所のない奴」と言う。
それはむしろ僕にとっては褒め言葉だ。
個としての僕は、
唯一無二の個としての対象者が存在すれば、
それで大満足なのだから。
時代は巡る、回転軸が揺さぶられる。
手を繋ごう。
心の絆を離すまい。
やがてそれは相手の心に明確な明かりを灯す。

放送部の後輩の彼女は二学年下だった。
明るくハキハキと話す快活な子だったが、
たしか心臓に病を抱えていたと記憶している。
家も近所だった。
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