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背景の記憶(241)

僕は一番が嫌いだった。いや、一番には逆立ちしてもなれなかったのだから

言い方を変えれば、二番、三番というポジションが居心地よかった。

僕の小学校時代は三学期制で、一学期の学級委員は一番賢いやつ(がり勉くん)が

任命されていた。三年生から六年生まで、僕はずっと二学期の委員だった。


大方が貧乏の時代だったけど、僕は幼稚園にも行けず、ランドセルも買ってもらえ

なかった。だから、風呂敷に教科書なんかを入れて登校していたのだけれど、

それも恥ずかしくなって、全部教室の机の中に置いて帰るようになった。

あのころ宿題と言うものがあったのかどうかも記憶がないけれど、適当に切り抜け

ていたのだろう。


教師の父は、そんな僕を知ってはいたのだろうけれど、諫めるようなことはまった

くなかった。その代わりにやたらと「本を読め、本を読め」と言われた。

そこそこの年齢になってからも「わからなくてもいいから、最後のページまで

読め」「英語の原書を読め」と口うるさかった。

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背景の記憶(240)

父の死後、兄と姉が相次いで亡くなり

ついに・・・独り

六人兄弟の末っ子

実母は三歳の時、病死(破傷風)

三人の兄と姉は幼くして病死

残った兄と姉は早くから家を出たため、一人っ子のようなもの

そういう自分も16歳で家を出て・・・

まさしく〜さすらい人の子守歌(旧web版 Ne'o activity)

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