Ne.o-activityに書いた自分の青春時代は、意識的に欠落させた部分があり、それはかなりの分量に達する。言葉(活字)にしてはならない数多くの事実もあり、自分の心の中だけの葛藤や迷妄も多い。
同世代の人間が言わば表舞台で闘っていた同時期、僕はまったく次元の異なりに見せかけられた世界で、極めて本質的な闘いのなかに放り込まれていた。<闘争><総括><粛清>・・・マスコミを賑わす言葉たちが、ソフトタッチの衣を纏って、若者の心を抉っていった。
それらのことを、今、改めて言葉にしようとは思わない。作中の植村沙織のように・・・それなりの人たちに断片を語ることはあっても、本質を語ることはないだろう。これまた彼女と同じく伴侶にも子供たちにも・・・。
さりげなく書いた<脱出>は、追手に怖れ慄いた≪決死行≫であった。追尾の魔の手は、まるで犯罪者を追い詰めるような迅速さと正確さで迫ってきた。彼女が仙台へ逃げ帰ったように、僕は実家へは帰れず、京都へと向かったのだ。彼女の持ち金1899円にたして、いったい僕はいくらの金を持していたのだろうか。いずれにしても片道切符であったことに違いはない。