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背景の記憶(83)

 Ne.o-activityに書いた自分の青春時代は、意識的に欠落させた部分があり、それはかなりの分量に達する。言葉(活字)にしてはならない数多くの事実もあり、自分の心の中だけの葛藤や迷妄も多い。

 同世代の人間が言わば表舞台で闘っていた同時期、僕はまったく次元の異なりに見せかけられた世界で、極めて本質的な闘いのなかに放り込まれていた。<闘争><総括><粛清>・・・マスコミを賑わす言葉たちが、ソフトタッチの衣を纏って、若者の心を抉っていった。

 それらのことを、今、改めて言葉にしようとは思わない。作中の植村沙織のように・・・それなりの人たちに断片を語ることはあっても、本質を語ることはないだろう。これまた彼女と同じく伴侶にも子供たちにも・・・。

 さりげなく書いた<脱出>は、追手に怖れ慄いた≪決死行≫であった。追尾の魔の手は、まるで犯罪者を追い詰めるような迅速さと正確さで迫ってきた。彼女が仙台へ逃げ帰ったように、僕は実家へは帰れず、京都へと向かったのだ。彼女の持ち金1899円にたして、いったい僕はいくらの金を持していたのだろうか。いずれにしても片道切符であったことに違いはない。

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背景の記憶(82)

「わたしたちも含め、あの時代、全共闘の運動に走った若者たちの心の中に、一瞬にしろ宿ったことのある何かについて、一時の気の迷いであり、ハシカのようなものである、と後年、せせら笑うことは誰にでもできる。全共闘の思想なんて、エリート意識をもつ高学歴連中の愚かしい妄想に過ぎない、だってそうだろう、やつらは後になって権力と手を結んだんだぜ、命を賭けてそういう生き方を拒絶していたはずのやつらが、平然と体制側にまわったんだぜ・・・・・そんなふうに言うことは誰にもできる。23.3.7サイネリア?.jpg

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posted by わたなべあきお | - | -

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