背景の記憶(83)

 Ne.o-activityに書いた自分の青春時代は、意識的に欠落させた部分があり、それはかなりの分量に達する。言葉(活字)にしてはならない数多くの事実もあり、自分の心の中だけの葛藤や迷妄も多い。

 同世代の人間が言わば表舞台で闘っていた同時期、僕はまったく次元の異なりに見せかけられた世界で、極めて本質的な闘いのなかに放り込まれていた。<闘争><総括><粛清>・・・マスコミを賑わす言葉たちが、ソフトタッチの衣を纏って、若者の心を抉っていった。

 それらのことを、今、改めて言葉にしようとは思わない。作中の植村沙織のように・・・それなりの人たちに断片を語ることはあっても、本質を語ることはないだろう。これまた彼女と同じく伴侶にも子供たちにも・・・。

 さりげなく書いた<脱出>は、追手に怖れ慄いた≪決死行≫であった。追尾の魔の手は、まるで犯罪者を追い詰めるような迅速さと正確さで迫ってきた。彼女が仙台へ逃げ帰ったように、僕は実家へは帰れず、京都へと向かったのだ。彼女の持ち金1899円にたして、いったい僕はいくらの金を持していたのだろうか。いずれにしても片道切符であったことに違いはない。

 清らかなところほど、醜い部分が鮮やかにあぶり出されることを知った。柔和と温厚の仮面を脱いだ、絶対権力者の素顔は、僕ごとき小心者を押しつぶすのはいとも簡単だったに違いない。そして、女性を中心としたその絶対服従者としての取り巻き連中も・・・。

 当然のことながら、思考能力を骨抜きにされ、操り人形と化した同僚たちを、僕はどうすることもできなかった。彼女が浦部幸子を見殺しにしたように・・・。救済の真似ごとは出来たかもしれないが、心の芯を解放するなんて到底無理な話だった。


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 後年、高校時代の同窓会で、同じテーブルの隣に座った(当時の唯一の理解者であったと思う)彼女に言われた言葉は衝撃的だった。
 「サリン事件・・・あの時、あなたを思ったわよ。写真と名前〜真剣に調べたんだから・・・」僕は、無言だった。苦笑いとも照れ笑いともつかない顔をしていたのかもしれない。年代も違いまったく無縁の事件だったとはいえ、心的には何ら変わらぬ体験をした自分だったのだから・・・。「優しく穏やかな顔で、安心したわ」彼女の笑顔が眩しかった。「実は・・・」と言いかけて、事実を話したい衝動に駆られたが、話題を他ごとに変えたのだった。

posted by わたなべあきお | - | -

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