ぼくがこうして、人が読むであろう場所に文章を書いていることにしたって
空に向かって独り言を言ってるわけじゃないのだから、だれかが「言われてみれば
そうだね」と思ってくれたり、「おれもそう思ってるんだ」とか感じてほしい
わけだ。
糸井重里
しんどい時に欲しいのは
「頑張れ」でもなく
「根性論」でもなく
「上から目線からの説教」でもなく
ただ静かに隣にいて
相槌を打ってくれることなんだって
そしてそれが出来る人が
どれほど貴重な尊い存在か
よく平凡は非凡だ、などといいますがそれはただの言葉の綾でしかなく、
平凡が平凡以上のものである筈もない。平凡でいいなどという手合いは
結局平凡にしか落ち着きはしない。
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人間の尊厳は何よりもその個性にこそあって、それを若い者の癖に人生を
端っから平凡でいいなどと口にするのは、自分自身だけでなく、人間全体
への冒瀆でしかない。
石原慎太郎
『渇しても盗泉の水を飲まず』(文選)
『鷹は飢えても穂を摘まず』
『斃れて後、已む』(礼記)
仕事上、それに近い心境に陥る時がある。
そこでグッと踏み止まるか否か!
同じ石に二度躓いては、阿保の中の阿保だ。
重責を担った人は
「辞表を書かなきゃ!」と思う所まで行って
そこで踏み止まって
リカバリーした人間でないとダメ!
井川意高
日本は今、登り続けてきた山を下りる過程にあるのだと思います。登りっぱなし
などありません。頂上を極めたあとの下りるというのは、自然の理です。
登山を成長の時代とすれば、下山は成熟の時代。登っている時はただ頑張るだけ
ですが、下山する時は景色を眺めながら、なぜ自分は山に登ったのか、その結果何
を得たのか、と人間的な思考が浮かぶものです。下りるから、次の山に登ることが
できます。下山の時は、新しい登山の道半ばともいえるのです。
底があるからこそ、至上の幸福感がやってきます。窮すれば通ず。人間はその時
になれば何とかして切り抜けて歴史をつないできたのです。上ったり下ったりを繰
り返す。生きるとは、そうした波の中で過ごすものだと納得すれば、おのずと幸せ
を感じる時はやって来るのではないでしょうか。
五木寛之
人間にとって一番恥ずかしいことは、立派になるということです。
僕にダンディズムがあるとすれば、このへんですね。
自分って、『自分がいかに下らない人間か』ということを思い知ることで
スーッと楽になれるんじゃないかな。
『なんだ、俺はいままでにこんなつまらないことにこだわってたのか』って。
そして楽になると同時に打たれ強くもなるんですよ。
タモリ
Take the risk. (リスクを知れ)
No pain, no gain. ( 痛み無くして、得るもの無し)
Never say never. (決してあきらめないで)
Just keep going. (前進あるのみ)
Mistakes keep people. (失敗が人を作る)
釈尊の説かれた「無常」の真理とは、「この世ではいつ何が起るか分からぬ」
ということです。それ故我々は、この「無常」の大法を常に心して、何が
起こっても驚かぬようにしなければならぬ。それでもイザ現実にぶつかった
となると、動揺を免れないがしかし根本的な動転だけはしないですむ。
森 信三