何気ない言葉や仕草の中にこそ、その人の本質がある。
意識すれば言葉を選ぶし、書き物であれば読み返しもする。
裏を返せば、思ってもいないことは言葉として出てこないということだ。
まさしく「覆水盆に返らず」
政治家の失言が話題となっているが、これとても同じこと。
失言と言うよりは本心(本音)ということだろう。
ごく身近なところでも、似たようなことが起こっている。
僕の場合、受け身の立場が大半なんだが、「ああ、やはりそういう奴か」
にたどり着く。諫めはしない、そういう奴として見切ることにしている。
自分への言い聞かせとしては、「思いやり」や「心遣い」を言葉に
込めたいと思っている。ごく自然な形で。
かわらない風景というものは、時に残酷な面を持っている。
♪嵐の中に 人の姿を見たら
消え入るような 叫びを聞こう
わかり合うよりは たしかめ合う事だ
季節のめぐる中で 今日をたしかめる
越えて行け そこを
越えて行け それを
今はまだ 人生を 語らず
喧嘩しよう
正々堂々と喧嘩しよう
土俵下で野次ってもしようがない
応援席で野次ってもしようがない
土俵に上がろう
リングに上がろう
ある事ない事
言われっぱなしでは引き下がれない
さあ!来い!
グローブは要らない
張り手でも何でも受けてやろう
君は僕の必殺技を知らない
闘わずして勝負は決まっている
しかし、より強く知らしめるために
あえて・・・戦いの場は設けられる
必殺!
一発K.O
あなたは・・・僕を甘く見たようですね
僕は現代の「必殺仕事人」なんですよ
あれは僕が結婚をする前の頃だったろうか?
父は手紙の中で「おまえは、<脱出>の名人だな・・・」と
誉め言葉なのか諫めの言葉なのか・・・分からないような一文があった。
たしかに僕にはその歳までに、一度と言わず二度、三度<脱出>をした。
自分的には・・・
「孤独になろう・・・自分を見つめよう・・・」だったのだが
された側からすれば「なんて身勝手な」「迷惑この上ない」
行動であったに違いない。
<脱出>は殻を破る〜最短、最善の道だ。
<今>は・・・
躰ごとの脱出ではなく、心の脱出だ。
それこそが真の<孤独>と言うものだと確信している。
悲しいかな、もはや思考的成長は止まってしまったのだろうか。
久しぶりに会った友との会話、前回とそのまた前と同じ内容の話をしている
自分だった。それを固定化した己の考えと言っていいのか、それとも何の
成長もない己と言えるのか・・・僕は後者のような気がしてならなかった。
他人の批評を己の餌にしているようでは、真の意味で心は満たされない。
この年になって、知的成長なんて口にする方がおかしいかもしれないが、
自分の中ではなんとも煮え切らない消化不良感が続いているのだ。
お前の信条は、
「いつも青春 いつも青春 いつも心の流離い」
ではなかったか。
思想的転向と、人は簡単に言うけれど
それは的確な表現ではなくて
左でも 右でも 中でもない
思想の超越、飛翔である
ある人にとっては諦めかも知れない
その域内に留まる人は特権階級の優越者であって
現実社会の縮小版の世界に生きているに過ぎない
ある人にとっては自立かも知れない
更なる領域への飛翔かも知れない
しかし其処にまた行き止りを感じた時
人は自死を選択しこの娑婆におさらばする