あれは僕が五十前くらいのことか・・・
仕事仲間とスナックで飲んで歌って、恒例の「そっとおやすみ」のチークダンスも
終わって、みんなが帰ったあと、一人残ったタクシー待ちの僕にママが言った。
「ねえ、ナベちゃん、○○さん離婚したの知ってる?」
「えっ!そうなの、なんで?」
「う〜〜ん・・・・あなたが原因みたいよ」
「え〜〜、まさか!ヂュエットはしたことあるけど、手も握ったことないのに」
「まったく、ナベちゃんは鈍感なんだから」
「そう言われてもね・・・」
「女心って、そういうものなのよ」
「わかんね〜な・・・」
「ほら、タクシー来たわよ」
「なんか、酔いがさめちゃったな・・・」
「まっ、そういうところがいいんだろうけどね・・・あっ、でも電話とか
しちゃダメよ。これは二人だけのハ・ナ・シ」
タクシーの中で、僕は考えていた。
「似たような話・・・二人目だな・・・」
個人として激動の時代を潜り抜けて来た人は、訪れた平穏は宝物だ。物でも
なく、金でもなく、その心のやすらぎこそが、何ものにも代えがたいのだ。
同じ時代に生きても、何の不自由もなく、経済的にも恵まれて過ごした人は、
これほど退屈でつまらない毎日はないと思うのかも知れない。
これは天秤にかけて、どっちがどうという問題ではない。それぞれの主観だ。
それぞれの価値観、人生観の違いとしか言いようがない。
眼は輝いているか?
心眼を持っているか?
心は晴れ渡っているか?
空気は味いか?
友はいるか?
精気は漲っているか?
眼には見えない<分かれ道>
眼を瞑ってもその確固たる一本道が見えますか?
ああ、何たる<回り道>
悔いのない<堂々巡り>
いつの日か必ず抜ける長くて暗いトンネル人生
♪川辺で子供たちが
無邪気に遊んでる
おまえはそれを見て
かすかに涙ぐむ
まわり道をしたけれど
夢が叶えばいいさいいさ
苦労の分だけは
お前もなれよ 幸せに
あ・・・
星空に 両手をあげて
思い出を そっとさがそう
消えた花火か あの星は
母さんの歌 あの星は
幼い頃が ひとつずつ
あんなに遠く 光ってる
星空に 両手をあげて
思い出を そっとさがそうよ
憂いを秘めた瞳の中に
煌めく星たちを散りばめよう
涙の雫に感応して
星屑のように天空に拡散されてゆく
星雲の中の一つ星を
君は見つけてくれるだろうか
胸の扉開けたら
すぐに裏景色だった
見透かす 見切る 一刀両断
そんな人間に期待する方が無理
新聞とNHKとが情報のすべてだと思っている
それらを完全に信じ込み大演説をぶちあげる
あたかも己の思考の中核とでも言うように
バカ丸出し 裸の王様
異論を唱えようものなら
その数倍の言葉が返ってくる
だから 決別 さようなら
心の闇に木霊する