その人が何を言っているかより、何をやっているかが問題。
その差がヒドければヒドイほど問題で、もしその上有名だったら一種の
悪党性がつけ加わるといってよい。
自分の会社は公取委から散々注意されながら括として省みず、
道徳を看板にした通俗雑誌などで世人を瞞着しようとする如きは、
まさに「天下の悪党」ですよ。
森 信三
私は日ごろは大阪弁を使います。
大阪弁は大好きです。
しかし大阪弁で物事は考えにくい。
司馬遼太郎
至極真面目な会合で、僕の師匠が講演に行った。僕はその運転手で同行したのだが
講演後、ちょっとお酒の入った座談会があって・・・
その帰路の車の中で、師匠がしみじみと言った。
「大阪人は、真面目な話を、洒落と冗談で低俗なものにしてしまうなぁ・・・」
○凡人には天才を殺す武器がある。
それは「多数決」
多数決こそ天才を殺す武器になる。
○天才の軸は「創造性」
秀才の軸は「再現性」
凡才の軸は「共感性」
しかし、それぞれの才は誰にでも備わっている。
要は、その比率の問題である。
「天才を殺す凡人」 北野 唯我
人間は肉体があるゆえ経済関係をまぬがれぬのである。どんな宗教家でも、肉体を
もつ限り、経済関係から離れられない。いかに高僧聖僧といえども、人から捧げられ
たものを食わせてもらうのだから人一倍感謝の念が深くなくてはならぬ。もしこの点
を忘れたら、一瞬にして堕地獄である。
森 信三
人生の晩年は、あくまでも積極的に! 非常に誤解のあるコトバですが、
ハッタリの一・二歩手前まで出てゆくくらいの積極性をもつ必要がある。
気魄というだけでは、まだキレイ事に過ぎて、少々物足りないのです。
気魄とハッタリの中間を、素っ裸で突き抜けるというくらいでないと、
今日の時代では流されてしまう。
森 信三
書いてさえ虚しいのに、書かなかったら、もっと虚しい。つまり虚しさも感じない
ほどにむなしい晩年になる。自分の書いたものを、いつまでも握って出さずにいる
と、精神的な便秘になる。それ故次への展開がきかない。ところが出すとかえって
執着がなくなる。だから思い切って出すんですね。たとえ人からどう言われようと
かまわぬじゃありませんか。結局は自己の執着を断つために出すんですから・・。
森 信三