広津さんから聞く話はいつも何かしらその種のおっとりとしたものばかりだった。
"闘争"とか"鮮烈"、また"秋霜烈日"、"きびしい"、"不惜身命"、"この道一筋"、
"ギリギリ"などなど、日本人の大好きな硬直.玉砕美学の言葉が匂わせるようなものは
どこにも感じられなかった。そのことに私はおどろき、眼を瞪った。
広津さんが私にあたえた最大の印象は、おっとりと、しかし徹底して執拗に持続する
実践の人ということだった。その武器は実証と常識である。正真正銘、広津さんは
行動人であった。けれど明治以来の日本の知識人が〖行動〗という言葉で連想するのは
闇に散る花火の悲愴であった。…………不渡り手形の思想家………
【開高健】

....それはどんな事があってもめげずに、忍耐強く、執念深く、みだりに悲観もせず、
楽観もせず、生き通して行く精神--それが散文精神だと思います。それは直ぐ得意に
なったりするような、そんなものであってはならない。……この国の薄暗さを見て、直ぐ悲観したり滅入ったりする精神であってはならない。それは何処までも忍耐して行く精神
であります。アンチ文化の跳梁に対して音を上げず、何処までも忍耐して、執念深く生き
通して行こうという精神であります。じっと我慢して冷静に、見なければならないものは
決して見のがさずに、そして見なければならないものに怯えたり、戦慄したり、眼を覆う
たりしないで、何処までもそれを見つめかなら、堪えて生きて行こうという精神であります。
【広津和郎】
