刹那的でなく
今日を精一杯生きて
その延長上の長生きならいいと思う
長生きしようと思ってする長生きは
ちょっと違うと思うんだよな
空虚な日々の積み重ねに過ぎないような・・・
父のことを
「生きる屍」と皮肉った当人が
まさしく生きる屍になっちゃった
「ひとを笑えば、自分が笑われる」
これは真理だな
死の美学なんていうのは
そんなところに起因するのかもしれない
永遠のテーマを真正面から受け止めて
ゴールに向かって突き進む奴
避けて逃げてちっちゃくまとまる奴
太く長く生きようとすれば
細く(無意味に)長い人生になってしまう
太く短く生きようとすれば
意外や意外
太く長い人生となる
どっちにしたって
本人にはわからない
客観的にそう見えるだけだろう
今日、年配の御夫婦のお宅を訪問させていただいた。
奥さんが、僕の同業他社の営業マンのことを「なんか・・・わけのわからないことばっかり言うのよね〜」と呟いた。
おそらく内容は間違ってはいないんだろうけど、お客さんの想いの汲み取り方がなってないんだろうなと思った。
もちろん法律や設置基準を侵すことはできないとしても、話の中から最善策を見つけ出すのが仕事だと思う。
「アナログ人間だね〜」と言われても、モノに愛着を持って大切に長く使うのが、今のお年寄り世代ではなかろうか。
長い間使い慣れたモノ・・・それが一番イイに決まっている。
「もうこんな時代ですよ」「こんなに便利ですよ」は逆に通用しないし、押しつけの域を出ない。
<もったいない>
風化して行く言葉・考えと言われて久しいが、大切な心だとつくづく思う。
木のぬくもり
呼吸する土
自然の風
・・・・・・・・
せめて残りの日々を
これまでのままで過ごして欲しい・・・
そんな思いを反芻しながらハンドルを握っていた。