FACEBOOKの冒頭にも書いている通り、僕のモットーは
「いつも青春 いつも青春 いつも心のさすらい」
それはこの年まで一貫して変わらない。
大げさに聞こえるかも知れないが、僕は実の青春時代に
人生の大半を過ごしてしまったのかも知れない。
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♪涙を流す若い二人に
さすらい人の子守唄を
おさない頃にささやいた
あの海もあの星も
もう歌わない
今はもう歌わない
夜が明けたらまた旅に出る
ふるさとのあの丘にもう帰れない
今はもう帰れない
真実を見せつけられて・・・
本心を言葉にされて・・・
傷つき悩むことが多々あった
そしてまた、逆の立場の自分もいた
僕が受け身の場合は、相手は皆優しすぎた
自らを悪者にして僕を庇った
でも、本当はそっちの方が辛いのだ
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♪たとえくり返し何故と尋ねても
振り払え風のようにあざやかに
人はみな望む答えだけを
聞けるまで尋ね続けてしまうものだから
君よ永遠の嘘をついてくれ
いつまでもたねあかしをしないでくれ
永遠の嘘をついてくれ
出会わなければよかった人などないと笑ってくれ
君よ永遠の嘘をついてくれ
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さすがに武器を持つというような実行動こそしませんが・・・
政治的にも、様々な組織活動の中でも、
ハートの上では、僕は「レジスタンス」的生き方です。
譲れないものは、トコトン譲れないという姿勢です。
対岸を99人が歩いていても、僕は1人でも此の岸を歩きます。
嫌いな言葉や仕組みは、「多数決」です。
いわば「ガリレオ」の心境です。
しかし・・・
同じような生き方に見えて、まったく異質な人もいます。
いわばただの「頑固者」です。
この類の人たちは度し難い。
僕はスルーします。衝突するだけ時間と労力の無駄です。
然るべき相手との闘いのための研鑽は怠りません。
模擬的闘争もやります。
・・・なんて書いてくると、危険人物のように思われそうですが
ただのやさぐれ爺です。
政治の 愚かさ
頼りなさ
あざとさ
ただ、居丈高になってどなる場面には数多く出くわすが。腕組みをして、
目を閉じて、じっと聞き入る「名演説」には久しく出逢わない。
政治家の皆様の「器」の問題なのだろうか?
片や評論家もどきの連中は、多弁ではあるが言葉に重みが無い。
真の「識者」は山中深く、「仙人的」生き方をしているのだろうか?
「天声人語」とは
「天に声あり、人をして語らしむ」の意とのこと。
なるほど・・・。
民の言葉を天の声とせよ〜ということか。
その民の心(言葉)は対立し、衝突し、分散し、滅裂する。
「天の声」そのものを聞けないものだろうか?
一昔前、「一億総中流意識」という言葉が流行ったが、
今は何て言うんだろう?
ごく一握りの上流意識者のための日本国なんだろうか?
逆ではないか!大多数の民のための政治ではないのか!
世界にいい顔をする、アメリカにいい顔をする…
肝心のお膝元は物価高や諸々の難題に呻吟している。
主客転倒とはこのことだ。
アメリカ的やり方が絶対的に良いとは思わないが、
政権が変われば役人も総入れ替え的な発想力でもない限り、
ダイナミックな変革は望めそうにない。
各党が狭い党利党略に走っているからには、
どこがやったって大して変わらないということになってしまう。
その意味では、大統領制もありだなとも思ってしまう。
救世主的な人物は現れないものだろうか?
若い頃、「小さく固まんなよ!」
「無茶はいけないけど、ちょっとは無理しないと、事は進まないぜ!」
…と誰かに言われたことを思い出す自分がいる。
それは6年前。私が初めて候補者というものになった時のこと。
朝の駅頭には複数の政党の人たちが立っていた。たくさんの通勤客が行き交う
中に毎回通る外国の方がいた。肌の色は黒。何ヶ月かすると、私はその男性と
仲良くなっていた。忙しい朝だけど、必ず短くても話をしてくれる。「僕は
建設工事現場で働いている。体はキツイけど、仕事はたくさんある」と。
日本語はペラペラだ。不思議なことに、他の候補者は彼に挨拶もしなければ
チラシすら渡さない。外国人は票にならないと思っているのか、無意識に
スルーするのか、それはわからない。
選挙本番になった朝、彼が私に言った。「僕の家族は日本人の妻や子供を
入れて6人。全員選挙権を持っている。僕以外は投票できる。紫野さんに
入れるよう頼んで、みんなOKとなったからね、5人入れるよ、だから
勝って!」涙が出た。そして結果が出た翌朝、「良かった!みんなで応援
してたんだよ!」と大喜びしてハグしてくれた。何がきっかけになるか
わからない。けれど、人と人とは繋がり合える。選挙権があってもなくても、
そんなの関係ない。この国はたくさんの人間がいて成り立っているのだ。
選挙の度に思い出すエピソードだ。
三鷹市市議会議員 紫野あすか
この街に住んで、もう半世紀以上が過ぎてしまった。
子供たち、孫たちにとっては、この街が故郷だ。
僕には生まれ故郷や育った街の思い出はあるが、さすがに五十年以上も
住み続けると、この街への愛着はこびりついてしまっている。
いろんなことがあった・・・
いろんなひとと出会った・・・
いろんな人と別れた・・・
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♪さりげないやさしさが
僕の胸をしめつけた
この街で僕を愛し
この街で僕を憎み
この街で 夢を壊したことも
君はきっと忘れるだろう
それでもいつか どこかの街で会ったなら
肩を叩いて 微笑みあおう
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♪街の角 喫茶店
古い美術館
山かげの細い道
初恋の涙
この街が好きさ
君がいるから
この街が好きさ
君の微笑みあるから