あれは僕が二十歳の頃だったろうか。
父が一冊の本を手渡した。
土居健郎著の「甘えの構造」
父は何を言いたかったのだろう?
何を伝えたかったのだろう?
己の懴悔か?子への忠告か?
詰まるところ、いわゆる「甘え」とは
現実的にまた必然的に縁切りさせられたが
父もそして僕もが内在的に持っている本質的な「甘え」とは、
一生付き合わされる羽目に陥った。
それは親子の遺伝的とも言える部分であり、そして
宿命的とも言える心の・・・魂の・・・問題なのかもしれない。
文明の利器たる携帯電話も、今やしごく当然の日用品となり、ボールペンや
ハンカチ等と同じように、無造作にカバンやポケットの中にある。
着信音であれ、バイブであれ、それらさえもが日常化して、今日のこの日を
仕切っている。
僕は突然カベに向って投げつけたい衝動に駆られる。
まるで・・・
時を止めてしまいたい!・・・とでも言うように。
母の母はカタカナしか書けなかった
手紙を見たことがある
・・・けど五人の子を見事に育てた
父の母は字が書けなかった
手紙は見たことがない
・・・30キロ台の小さな体で十人もの子供を産んだ
その内四人は近隣へ養子に出された
カタカナだけの手紙には
心がストレートに込められている
漢字に勝る説得力がある
そう僕は感じた
今はどもりと言えば差別用語に近いらしいが、小学校時代、同級生に吃音の子がいた。彼は姓がアイ〇なので名簿が一番、僕がワタナベなので名簿は最後。そんな関係性もあってかなくてか、彼はなぜか僕に近づいてきて友達になった。遠足やなんかの行事の時はいつも一緒だった。彼のお母さんは随分と吃音のことを気にしているみたいで、僕に過度のお礼を言われたが、僕はさほど意識せず自然に付き合っていた。六年生になった時、彼は親の都合で橋向の学校へ転校して行った。
吃音と言えば、僕の尊敬する故西部邁氏が、かなり強度の吃音だったと本で知った。高校時代まではその所為でほとんど人前では喋らなかったらしい。しかし東大に入って学園紛争の真っ只中、かなり多くの聴衆の中で、歴史的な大演説をぶったらしい。そしてそれっきり吃音から解放されたと聞いた。それから数十年後のテレビでのあの活舌を聴けば、氏が吃音だったとは想像もつかない。物事は何が転機になるかわからない。
吃音とは違うが、僕の赤面症もかなりのものだった。しかしそれも放送部のアナウンサーという経験が、その症状を和らげてくれたように思う。大人になって「物静かなナベちゃん」で通っているが、酔えば大演説家に変身するのを知ってくれている人は少ない。まあ、それだけ酔っぱらってしまうことは稀であるということの裏返しなのかもしれないが・・・。
相似の報い
これは当事者でなければ分からない
何かを犯す(侵す)
その事象の同じことが
わが身に跳ね返ってくる
問題は・・・
其のことへの懺悔と反省の上に立って
そこからの再出発だ
もし、居直り正当化すれば
同じことが又してもわが身に降りかかってくる
もっと素直になりなさい
もっともっと正直者でありなさい
この世は不条理なことばかり
わが身の立場からすれば・・・の話
対象者はその欠片も抱いてはいない
至極当然とばかりに、淡々と事を進める
まさに事務的に
その何気ない言葉が、下した裁決が
対象者にどんな影響を及ぼすかなんて
これっぽっちも思ってはいない
それがこの世の中
まさに浮世
ひとの所為にしないこと
すべては己に起因したことだ
如何なる状況下に置かれようとも
まさに・・・「自業自得」
自分が被る
自分が責任を取る
そしてまた・・・
自分が行動を起こす