いわゆる晩年を迎えて、思い至ることがある。
反省というか後悔というか懺悔というか…
僕は末っ子なので、父との年齢差は三十数年あるわけだが、
父が今の僕と同じ歳のころ、この僕はどんな接し方をしてただろうと振り返りみる。
一言で言えば、思いが足らなかった。
いや、思い遣りに欠けていた。
父親に寄り添うというのも変な表現だが、もっと父の内面に飛び込んで、
思想的闘いを交えたかったということだ。
「ほう、息子よ。そこまで考えるようになったか。それでこそ我が息子」との思いを
抱かせたかったとの慚愧の念と言える。
男親は女親よりも孤独に陥りやすい。その捌け口とでもいうように、わら半紙に
ひたすら殴り書きしていた頃の父を思い出す。誰に同意を求めるわけでもなく。
心中のもう一人の自分に語りかけ問い続けていたのだ。
そしてはるか遠い昔に死別した僕の母に、語りかけ続けていたのだ。
それ相応の年齢にならなけれは、その年に相応しい思考は涌き出ては来ない。
現実の時の流れを止めて、己の独り舞台を演じる。
観客はもう一人の自分とあの世の父と母。さらに加わるかい?
五人の兄姉たちよ。
憧れ抱き続けていた【家庭】という温かい空間。
昨年から今年にかけて、家庭内環境が様変わりしてしまい、いささか戸惑いの中にいます。車は車検が通らず、結果的に廃車に、息子の車に依存している状態。近場なら「健康のためだ」と意地を張って自転車をこいだりする。遠ければ「バスもまた良いもんだ」と強がって、外国人観光客だらけの市バスでもみくちゃにされる。パソコンは壊れて再利用不能になり、埃をかぶっていたノートパソコンを引っ張り出してきて、打ち込んでいる状態。
悪いことは重なるものとよく言います。例えば電気製品があれもこれも一斉に壊れるとか・・・。大体十年を待たずに壊れるようですね。本業の住宅設備機器業界でも、部品供給不可で新品取替になるくらいですから・・・。
そういう意味からいえば、このブログもそろそろたたみ時かも知れません。
果てしないインターネット的世界とおさらばして、昔人間らしくアナログ的な生活に帰れという天のご指示かも知れません。本を読め、文字を書け、想像力を深めよ、夢の世界に生きろ・・・両手に旗を持った交通整理姿のもう一人の自分が、そんな世界へと誘導してゆく。
