若い頃なら、年齢が一回りも違えば、大人と子供の感覚だが、
歳を重ねれば、その年齢感覚はどんどんと縮まり、意識することすら
なくなってしまう。不思議なものだ。
それでも相対的な固定観念は残っているもので、実の娘のような人から
ドキッとするような言葉を聞くと、それに驚く自分に驚いてしまう。
そうか・・・感覚的に受ける年齢と実年齢とは、随分と違うんだと
いうことを思い知らされる。
「あなたは、言われるほどの年齢は感じませんよ」
お世辞なのか、営業言葉なのか・・・
グラスを口に運びながら、どことなくにやけた自分を恥じる。
僕の「この部屋」は、いわばサテライトスタジオのようなものだ。
通りすがりの人が、ちょっと立ち止まって話を聞いたり、
「何やってんだろう?」とのぞき見したり、そんな場所だ。
でも人通りの多い表通りではないから、通りすがる人の数は知れている。
自分としては、そんな適当バランスのこの場所が落ち着くし好きなのだ。
でも時々、内側から外を見ていて、ハッとする人を見かけるときがある。
そんな時は、とても臆病者の僕だけど、横のドアを開けて通りに飛び出し
その人に声をかけてみる。
これはとても勇気の要る行為だが、僕はインスピレーションを大事にしたいので
思い切って声をかけてみる。
これまでの二十数年間で片手ほどの数にしかならないが、それが「感性」であり
フィーリングであり、そしてそのマッチングなのだ。
今日も、明日も、明後日も・・・
ずっとずっと・・・
毎日が「お盆」のように
毎日が「お彼岸」のように
まさしく<亡霊弔いを待つ>
※迷惑、いたずらコメント防止のため・・・
今日は終戦記念日。
僕の叔父(母の弟)は、大学生の時、特攻隊に志願し
昭和20年の4月7日に出撃、沖縄沖で戦死した。
その四か月後が終戦だから、遺族の思いは複雑極まりない。
美声の持ち主で、歌がとても上手だったらしい。
台湾で終戦を迎えた弟の叔父が、本を出版した。
五、六年をかけた労作だ。
その叔父ももうこの世にいない。
ステファニー先生と並んで、もう一人女性の恩師がいる。それは卓球の韓先生。
中国の帰化選手で大学選手権で二連覇した人だ。ご主人は王さん、当時ひわこ銀行
のエースで、これまた全日本のチャンピオンだ。
健康のためと思い、始めた卓球で、僕はクラブ結成の時、誘いを受けた。
10人ほどが集まり、僕は一番下手くそだった。
そのクラブが韓先生のレッスンを受けることになり、僕も勇んで参加した。
レッスンが二、三回進んだ頃、僕は先生に声をかけられた。
「わたなべさん、三年我慢して上手くなりませんか?」僕は即OKをした。
他の人たちと言えば、「試合に勝てることを教えて!」とか、先生に試合で挑むと
いうような姿勢だったので、先生はそういう人たちには、適当に相手して、
お義理で「ナイスボール!」というような状態で、それは僕の素人目にも明らか
だった。先生は僕と同じ左利きで、それも幸いした。僕はペンホルダーだった
のだが、先生の薦めでシェイクハンドに変えた。超嬉しいことに、先生の使って
おられたラケットを「どうぞ!」とプレゼントされたのだ。レッスンは厳しかっ
た。最初の何ヵ月かはダメ出しの連続だった。でも次第にOKが出るようになり、
レッスンは順調に進んで行った。
そうしたある日、先生の教え子の100人くらいの合同練習が行われた。
そこで何と僕はバックショートの練習の見本で指名されて、その大勢の注目の中、
先生とのレッスンをさせてもらった。予想外に10回、20回とミスなく続けることが
出来て、拍手が起こるほどだった。これには先生も大満足で、親指を立ててグッ
ド!とのサインを送ってくださった。
そして・・・
昨晩、まったく超久しぶりに外で酒を飲んだ。
実をいうと、家でも酒は断っていたんだが・・・。
それができるということは、少なくとも僕は「依存症」ではないらしい。
しかし、誘われるがままに行った二次会、三次会。
久しぶりにカラオケも歌って・・・
二軒目の途中までは覚えているのだが・・・
そのあとの記憶が飛んでいる。
店の支払いは?どうやって帰ったのか?タクシー代は?
そこらがすべて飛んでいる。
でも、今朝・・・
僕はちゃんと布団で寝ていたし、財布もケータイも机の上にある。
これで今年二回目だな。
危ない兆候なのか、ただの深酔いなのか?
二軒目のスナックのママと、
えらく意味深な、ちょっと哲学っぽい話をしたのは覚えているのだが・・・