湖の干拓地 車の通らない跨線橋
独りぼっちの街灯 夢の影
わずかな時間の 待ち合わせ
言葉はいらない
ただ寄り添い 手を握る
あの遠い日の涙は
明日への希望ではなかったのか
高校二年の時、進学校の得体の知れない圧力に屈して、僕は登校拒否になった。自宅は出ても学校の近くのばあちゃんの家に行くようになった。ばあちゃんは問い詰めるようなことは一言も言わず、「カルタ(花札)しょうや」と言って遊んでくれた。僕にも分かるようなイカサマだったが、僕はそれもまた嬉しかった。あの数ヶ月が無かったら、僕は出口の無い暗闇に入り込んで行ったかも知れない。
小学校の遠足の二三日前
汚れたズック(布靴)をタワシで懸命に洗った。
親にあれこれと買ってくれとは言いづらい時代だった。
昭和二十年代の話。
当時は、さすがに裸足というのは無かったが
平素はゴム草履か黒い短靴を履いていた。
どこの家も総じて貧しかったから、履物にそれほどの
執着は無かった。しかし、
大人ならよそ行きの服とか一張羅とかいう言葉が
存在する時代だったから、子供にもそれなりの意識はあった。
子供なりのよそ行き感覚だったんだろう。
徐々に異性を意識し始めて、体裁を考え出したということだろう。
実のところは、そんなひとの風体など気にはしていないのだが
子供なりの自意識というか、そんな感情が芽生える時期だった
のかもしれない。
○♪君と出会った奇跡が この胸にあふれてる
きっと今は自由に空も飛べるはず
夢を濡らした涙が 海原へ流れたら
ずっとそばで笑っていてほしい・・・
○全てにおいて
ピカピカより
艶消しを好む。
生い立ちから来る副産物。
○この静けさは何ぞや
大嵐の前?
台風の目?
戦々恐々とした毎日
○知り合いに、新聞購読せず、テレビなし
情報源は読書とラジオのみ・・・
という人がいるが、
この源もN○Kさえ、今や怪しくなってきた
どこかの誰かが操っている
○自殺 自死 裁死・・・
本人の意識 まわりの見解
○「かへらないことが最善だよ」
それは放浪の哲学 <金子光晴>
○ボヘミアン
心の奥底でずっと燻り続けているものがある
○葉脈のように
僕の血脈が浮かび上がる
○近くの大学の掲示板
「猿も木から落ちる でもまた登ればいい」
でも今は、
その意欲さえ奪われてしまった人が多い
○起こってしまったこと自体を責めているのではなく
その対応のあり方とスピードが
責められているのです。
それは、個人も国も同じです。
幾つもの警鐘が鳴らされてきたのに。
○職業に貴賎なし
一事貫徹が素晴らしい。
○「戦争が無い状態」
という意味での「平和」