京都から博多まで
♪肩につめたい 小雨が重い
思いきれない 未練が重い
・・・・・・・・・・・・・
これは藤圭子の唄だが、男女は逆転すれど内容は一緒だった。
貴女が博多から京都まで、僕を迎えに来てくれた。
思い切って行こうと思えば行けた・・・。
婚約者だ。(父が認め約束した)
しかし、行かなかった。行けなかった。
人生に「もしも・・・」は無い。
夢物語は作れる。書きもした。(アナザーストーリー)
恋しさ半分、虚しさ半分。
半世紀という時間は、何もかも消し去るだけなのだろうか。

「執拗」という言葉がピッタリの人がいる。そうとしか言いようのない人だ。
これでもか、これでもか・・・と畳みかけてくる。それがまた指導的立場の人間だ
と、これほど厄介なことはない。被害者は深刻極まりない。あえて「犯人」と言お
う。この犯人はもはや病的だ。僕も高校生の時、経験した。英語の教師だった。後
に、十歳年上の兄に話したら、「ああ、アイツか・・・あれはヒドイ!病的だ」と
言った。僕は半登校拒否状態に陥った。同業の父が呼び出されて、父も驚いたくら
いだ。
うんと時を経て「セッション」という映画を観た。これに登場する楽団の指揮者
がまさにこういう存在だった。この悪魔的人間に雄々しく立ち向かうのがドラマー
の主人公だったわけだが、共感というより嫌悪感の方が重くのしかかってきた。
物事の極度の追及は病的となる。そして度を越して異常となる。精神病だ。
