この街に住んで、もう半世紀以上が過ぎてしまった。
子供たち、孫たちにとっては、この街が故郷だ。
僕には生まれ故郷や育った街の思い出はあるが、さすがに五十年以上も
住み続けると、この街への愛着はこびりついてしまっている。
いろんなことがあった・・・
いろんなひとと出会った・・・
いろんな人と別れた・・・
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♪さりげないやさしさが
僕の胸をしめつけた
この街で僕を愛し
この街で僕を憎み
この街で 夢を壊したことも
君はきっと忘れるだろう
それでもいつか どこかの街で会ったなら
肩を叩いて 微笑みあおう
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♪街の角 喫茶店
古い美術館
山かげの細い道
初恋の涙
この街が好きさ
君がいるから
この街が好きさ
君の微笑みあるから

何気ない言葉や仕草の中にこそ、その人の本質がある。
意識すれば言葉を選ぶし、書き物であれば読み返しもする。
裏を返せば、思ってもいないことは言葉として出てこないということだ。
まさしく「覆水盆に返らず」
政治家の失言が話題となっているが、これとても同じこと。
失言と言うよりは本心(本音)ということだろう。
ごく身近なところでも、似たようなことが起こっている。
僕の場合、受け身の立場が大半なんだが、「ああ、やはりそういう奴か」
にたどり着く。諫めはしない、そういう奴として見切ることにしている。
自分への言い聞かせとしては、「思いやり」や「心遣い」を言葉に
込めたいと思っている。ごく自然な形で。

悲しいかな、もはや思考的成長は止まってしまったのだろうか。
久しぶりに会った友との会話、前回とそのまた前と同じ内容の話をしている
自分だった。それを固定化した己の考えと言っていいのか、それとも何の
成長もない己と言えるのか・・・僕は後者のような気がしてならなかった。
他人の批評を己の餌にしているようでは、真の意味で心は満たされない。
この年になって、知的成長なんて口にする方がおかしいかもしれないが、
自分の中ではなんとも煮え切らない消化不良感が続いているのだ。
お前の信条は、
「いつも青春 いつも青春 いつも心の流離い」
ではなかったか。
