一昔前なら、「豪快な生き方」とか「破天荒な生き方」とか言われて
むしろ良いイメージ的扱いを受けていたわけだが、今のご時世では
様々なハラスメントの加害者扱いをされる。
時代と言ってしまえば、たしかにそうなんだが・・・
いわばその過渡期的な今日で、羨ましがられるどころか
犯罪者的立場に追い込まれた人たち(有名人)にしてみれば
「あの人も・・・この人も・・・」の恨み節も出てくることだろう。
「なんで俺だけが・・・」を発する前に、冷静にじっくりと
己の麻痺した感覚を客観視するべきだろう。
どこらへんで留め置くか!
このラインが重要な意味を持つ。
有名人ならずとも、似たような輩は僕の周りにも存在する。
まったくの私的な立場(一観客)でありながら、競技中の女性を
カメラに収めていた。さすがに僕は止めに入ったが・・・
当事者は一端<カメラマン気取り>でいるわけだ。
以前、警察沙汰にこそならなかったが、同じような行為で
対象の女性が心を病むところまで行った張本人なのに
<懲りない奴>とはこのことだ。

いい大人のそんな表現をシャイと言えるのかわからない。
歌の文句じゃないけれど、「逢えば別れがつらくて泣ける 逢えなきゃなおさら…」
ある集合体のなかに、あなたの姿を捜す僕がいた。もちろん
表面上は、その欠片すら見せない。でも、目を見れば気付く人は気付くだろう。
ある場面で、思いがけず背後から軽く肩を叩かれた。驚いた僕にあなたは言葉にはせずに
最高の笑顔を残して行った。
僕の目線が届いていたのだろうか?意識は鋭い弓矢として相手に届くようだ。
200人近い集団の中の眼差し。それが届いたと言うのだろうか!
僕は年甲斐もなくウィンクを返していた。
実技的成績はともかく、そのファッション性と溌剌度はナンバーワンなんだけどな。
僕は、本部席で大会の熱戦を見守っている。

春や秋が無くなって・・・つまりは、四季が無くなって
夏と冬の二季になるという
なんともはや・・・・
この四季があればこそ、日本人の感性は磨かれ育まれてきたというのに・・・
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♪坂の細い道を 夏の雨にうたれ
言葉をさがし続けて別れた二人
小麦色に焼けた 肌は色あせて
黄昏 私一人 海を見るの
冬が来る前に
もう一度あの人とめぐり逢いたい
冬が来る前に
もう一度あの人とめぐり逢いたい
秋の風が吹いて 街はコスモス色
あなたからの便り 風に聞くの
落葉つもる道は 夏の思い出道
冬が来る前に
もう一度あの人とめぐり逢いたい
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男性ならより解りやすいかもしれないけど、野球のキャッチャーが球を受ける時、
そのままミットを動かさずに受けたら、衝撃がモロに伝わって掌が痛い。
それを避けるために、ちょっと体側に引いて間合いを作る。
そうすると嘘のように球の力が吸収される。
なぜこんなことを言うのかと言えば、人生様々な場面で衝突事は起こる。
そこで前述のようにモロに受けてしまったらその傷は大きい。
場合によっては致命傷にもなりかねない。
そこで心のキャッチングが必要というわけだ。
このコツを掴むと懐ができる、余裕が生まれる。
さらに応用編とも言える話だが、暴投球はあえて取らない、スルーする。
必死に飛びついて捕るほとの価値もない球もあるのです。
暴投球はバックネットに当たって落ちるだけです。
