私は今も、前方に光明を見ている。闇の中に一点の光を見る。闇というものが
如何に厚っぽい、重々しい、深い遠い垂れたものかということと、そういう完全な
闇の中にも一つの点の明るさがあって、それはぼうと白く霧の中の明るい小さな穴を
なしていて、しかもその穴からはいくら外をのぞいてみても、仮相の形象の何一つ
見えないということを、私は丁寧に知った。これは経験である。自分の指先さえ
見えない深い木の間の闇夜より、なほ厚い閉ざされた垂れ下がった闇があったことを、
私は戦後にまざまざと経験して知ったのである。しかし私は自分がその闇の住人となる
「不安」を毛頭も意識しなかった。
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昭和二十年代から三十年代の前期にものを学び教えられた若い年代は、最も卑しい者や
卑しくなったものに、卑しい方法で卑しいことを教わったということを、一度反省して
みる必要がある。たしかに卑しいと納得し、しかもそれを自分の責任で反省する者が、
次代のまことの変革精神の核となることを私は信じている。
【保田与重郎】
何度も読んでみると、
身体の奥に、詩の一節が
染み込むように入る時がある
私は若い頃、教師にこう教わった。
「良い本、良い小説は、一度読み終えてから、十年後、二十年後に読んでみると、
初めて読んだ時には発見できなかったものを見つけることができる」
人が生涯で何度か読んだ小説は、やはり良い小説なのだろう。
詩集などはその典型で、何度も読んでみると、ある時、身体の奥に、
詩の一節が染み込むように入る時がある。
それは友人との再会に似て、人も書も、接する側の成長によって見え方、
読み方が違うからかもしれない。
【伊集院 静】
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まさにそれを実体験してる。もうあの本は読んだ…と、本棚で埃を被った本たちを
引っ張り出して、読み直している。するとたしかに
「あれ、この本こんな内容だったっけ」となることのなんと多いことか。
いいも悪いも、楽しみも苦しみも、経験が心を感性を成長させているのだろう。
百科事典に、本棚のスペースを占領させておいてはいけない。