イメージは火花のようであり、とつぜんの風でひらく窓のようであり、
じわじわとにじみひろがるインクのようでもある。その群れを私は
流れるものは流れさせ、はびこるものははびこらせる。消えるか。のこるか。
いつか再生するか。苛酷な生の流れの少しはなれたところに体をおいてその
動静に眺め入る時間が貴重である。たいへん好きだ。
これらの群れは、いつも何か説明しにくい力である。たとえそれが、
たそがれの町角にのこる口笛の一節でも、新聞の三面記事の六行でも、
一帝国の興亡でも、私をとらえてはなさない力であることに変わりはない。
だから私はライオンの真似をすればライオンの爪や牙からのがれられると
思いこんでいた原始人に似ているのではないか。身ぶりをして憑きを
おとそうとして小説を書くのである。
【開高 健】

【怒る】 【叱る】
感情的に 理性的に
自分のために 相手のために
過去に焦点をあて 未来を見据えて
怒りと勢いで 愛と勇気で
自分の言いたいように 相手に伝わるように
感情にまかせて 試行錯誤しながら
相手を批判するように 相手を認めながら
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この問題は、身近な環境の中で切実さを増している。
スポーツの世界でも表面化しているように、今やあらゆる分野での難題と言える。
情熱とか必死さとかいう言葉で……己の言動を正当化しようとする。
もちろん、100か0かという思いではないが、強烈過ぎる信念に基づくソレは、
如何ともし難い。世の各分野の指導者様方、もうちょっとフレキシブルになって下さい。
対象者側に対して、妥協とか歩み寄りを求めているのではなくて、その対峙方法を
お考え下さいと言っているのであって、単純な一方通行ではダメですよと言っている
のです。それを迎合だとか、随対意だとか言ってしまえば、その時点で指導者失格です。
自分は隣人と、ほとんど会話が出来ません。何を、どう言ったらいいのか、
わからないのです。
そこで考え出したのは、道化でした。
それは、自分の、人間に対する最後の求愛でした。自分は、人間を極度に
恐れていながら、それでいて、人間を、どうしても思いきれなかったらしいのです。
そうして自分は、この道化の一線でわずかに人間につながる事が出来たのでした。
おもてでは、絶えず笑顔をつくりながらも、内心は必死の、それこそ千番に一番の
兼ね合いとでもいうべき危機一髪の、脂汗流してのサービスでした。
「人間失格」【太宰 治】

僕が此処で常々書いている自分の【ピエロ性】が作中の中で見事なまでに
言い当てられて、ちょっと驚いた。幼少期や少年期の僕にそれだけの自己分析が
出来たわけでもないので、ずっと後になって当時の自分を【笑顔よしのあきちゃん】
と表現したのだった。僕と同じ心を持った人がいるんだなぁ……という
一種の感慨と安心と、一種の後ろめたさとが交錯して、狼狽えてしまう。
本能的な自己防衛策としての笑顔、写真の中でも、ちょっと斜め下を見て
口だけ笑っている(…ような)自分。これを見抜いた人は、作中の人たちと一緒で、
僕の人生の中でも数名しかいない。大概の人は、
みんな「あなたはいつもどこか遠くを見ている」と言って去って行ったのでした。