個人として激動の時代を潜り抜けて来た人は、訪れた平穏は宝物だ。物でも
なく、金でもなく、その心のやすらぎこそが、何ものにも代えがたいのだ。
同じ時代に生きても、何の不自由もなく、経済的にも恵まれて過ごした人は、
これほど退屈でつまらない毎日はないと思うのかも知れない。
これは天秤にかけて、どっちがどうという問題ではない。それぞれの主観だ。
それぞれの価値観、人生観の違いとしか言いようがない。
眼は輝いているか?
心眼を持っているか?
心は晴れ渡っているか?
空気は味いか?
友はいるか?
精気は漲っているか?
眼には見えない<分かれ道>
眼を瞑ってもその確固たる一本道が見えますか?
ああ、何たる<回り道>
悔いのない<堂々巡り>
いつの日か必ず抜ける長くて暗いトンネル人生
♪川辺で子供たちが
無邪気に遊んでる
おまえはそれを見て
かすかに涙ぐむ
まわり道をしたけれど
夢が叶えばいいさいいさ
苦労の分だけは
お前もなれよ 幸せに
あ・・・
星空に 両手をあげて
思い出を そっとさがそう
消えた花火か あの星は
母さんの歌 あの星は
幼い頃が ひとつずつ
あんなに遠く 光ってる
星空に 両手をあげて
思い出を そっとさがそうよ
憂いを秘めた瞳の中に
煌めく星たちを散りばめよう
涙の雫に感応して
星屑のように天空に拡散されてゆく
星雲の中の一つ星を
君は見つけてくれるだろうか
胸の扉開けたら
すぐに裏景色だった
見透かす 見切る 一刀両断
そんな人間に期待する方が無理
新聞とNHKとが情報のすべてだと思っている
それらを完全に信じ込み大演説をぶちあげる
あたかも己の思考の中核とでも言うように
バカ丸出し 裸の王様
異論を唱えようものなら
その数倍の言葉が返ってくる
だから 決別 さようなら
心の闇に木霊する
「執拗」という言葉がピッタリの人がいる。そうとしか言いようのない人だ。
これでもか、これでもか・・・と畳みかけてくる。それがまた指導的立場の人間だ
と、これほど厄介なことはない。被害者は深刻極まりない。あえて「犯人」と言お
う。この犯人はもはや病的だ。僕も高校生の時、経験した。英語の教師だった。後
に、十歳年上の兄に話したら、「ああ、アイツか・・・あれはヒドイ!病的だ」と
言った。僕は半登校拒否状態に陥った。同業の父が呼び出されて、父も驚いたくら
いだ。
うんと時を経て「セッション」という映画を観た。これに登場する楽団の指揮者
がまさにこういう存在だった。この悪魔的人間に雄々しく立ち向かうのがドラマー
の主人公だったわけだが、共感というより嫌悪感の方が重くのしかかってきた。
物事の極度の追及は病的となる。そして度を越して異常となる。精神病だ。
今、信仰二世、三世の問題で世間が揺れている。そこに起因して一国の総理が殺されたのだから、単純な問題ではないことは明らかだ。僕は団体は全く違うが、主体側と信者側の両方を体験しているので、一概に結論めいたことは言えない。団体そのものの内部でも法廷闘争は頻発していた。僕はその混乱の中で際どく脱走したのだ。一般社会に戻った後しばらく、僕はマインドコントロールの恐ろしさを嫌というほど味わった。もっとも顕著だったのが、二年後れの大学受験をした時だった。ごく単純な小論文だったのに、それが書けなかったのだ。頭に浮かび上がってくるのは、教義的な文章ばかりで、全く世間常識的な文言が浮かばなかったのだ。その屈辱的な挫折に始まり、本当の意味で普通人に戻れたのは、更に三、四年後だった。心の住む世界が対極にあるわけだから無理もない。だから、今話題の教団もちょっとやそっとでは、はい、終わり!とは行かないはずだ。端から見ればの洗脳も、当事者にすれば超真面目な信奉であって、少々のことで揺れ動いたのでは、全うな信者とは見なされないわけで。