あれは小学生のころだったろうか
小川のせせらぎに
清らかな願いを込めた
小さな笹舟を浮かべて
手を合わせた
通う心もなしに
いったい人と人は
どうやって繋がることができるのでしょうか
目と目を見合わせただけで
心の通い合うような
友達が数人いたら
それで僕は充分幸福だと思います
空は抜けるように青く澄みきっている。
しかし、風は冷たく肌を刺す。
ジェット機が雲を引かずに、音だけを残して飛び去って行く。
たしかにあの雲の流れでは…と不確かな自説に納得してみせる。
ふとあの貿易センタービルの画面が蘇る。
突っ込むジェット機、立ち上る白煙…まるで無声映画のようなあの場面。
現場と傍観の冷酷極まりないコントラスト。
似たような事象が世界のあちこちで起きているというのに、なんと非情な客観視だ
ろう。
その意味においては、日本は平和であろう。しかし、惨禍のなかで見る彼らの夢や
希望には、僕らのそれはこれっぽっちも及はないはずだ。
どっちが人間的と言えるのか。どっちがまさに生きていると言えるのか。
詩的な感覚が政治的なきな臭さにおきかわり、戦場の子供たちの瞳に呼応して、
胸の中で流離い人の子守唄が流れる。
あぁ、せめて三年前に逢えていれば…なんてことは、よくあるわけで。時の悪戯は容赦ない。
でも、人生に「もしも…」は無いわけで、現実を受け入れるしかない。
無理してその仮想の中に生きようとすれば、現実の歯車は狂いだし、その方向性は定まらす、時に空中分解も引き起こす。
それでも…しかし、空想の作り出すドラマが、現実の自分に劇的な変革をもたらすこともあるわけで…。
夢や空想の中で、半分以上生きているに等しい僕としては、そこらの物差や計りは持ってきてほしくないのです。
夢で逢いましょう。夢で語りましょう。夢でそのまた先を紡ぎましょう。
「非日常」の「日常化」はキツイ!・・・と感じる。
例えば、嫁の立場としての旦那の父あるいは母の介護。
それでなくても厳しい局面もあるのに、加えて「介護」となれば事は深刻だ。
加えて「痴呆」が絡めば、負担は倍化どころか想像を超える。
わが身に置き替えてみて、せめてそういう立場にならないでいようと思う。
何らかのお世話にはならざるを得なくなるだろうが、少なくともボケないで
いたい。いやいやその前に老々介護の方が現実的課題だ。
歌の文句じゃないけれど・・・
辛くても 辛くても 死には(いや待った!)
辛くても 辛くても ボケはしないわ
たとえ就寝前の五分間でもいい
あるいは、眠りについた夢の中ででもいい
自分だけの時間を持ちなさい
誰にも邪魔されない・・・自分だけの時間を
でないと・・・
あなた自身が潰れますよ
他人に厳しく、己に甘い・・・のが世の中の大半であるが
僕的に言わせてもらえば・・・
他人に厳しく、己にはそれに倍して厳しく!
困ったことに、他人様のことは見たくなくても見えるものである
それに反比例して、自分のことはトンと見えてこない
なんとも皮肉なこの「甘えの構造」