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山の中

 国民の代弁者たるべき代議士が、かけ離れた世界の人となり、言い訳と詭弁を

繰り返す。「井の中の蛙」じゃないけれど、「永田町の蛙」か?先生も先生だが

選んだ人も人、これがほんとの恥知らず。

 世界とても同じこと。主語を置き換えるだけで、文章が成り立つ。おいてけぼりは

いつも国民、市民。言う側も、それだけ言うなら、お前がやってみろ!口だけなら

誰でも言うさ。

 心も体も、山中深く入り込むか。

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因果

「善因善果、悪因悪果」と言うが、さっきコレをしたからすぐに結果が出るという

ことばかりではない。何十年の時を経て、出てくる答えもあるわけで・・・。

しかし悲しいかな、そうした時の流れは、「因」なるものを忘れさすことも多々

あるわけで・・・。

 さらに怖いことには、何十年も経って出てきた答えの贖罪を試みようとしても、

当の本人が呆けてしまったのでは、それも叶わないわけで・・・。こればっかりは

代行というわけにもいかない。

 善行と悪行・・・これは足し算、引き算が通用しない厳格な世界だ。「これだけ

悪いこともしたけど、これだけ善いこともしたのだから引いてくれ」が通用しない

世界だ。善悪ともにやったことはやったこととして、そのまま厳然と残る。

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真の生

 

 『念々死を覚悟してはじめて真の生となる。』


 『我われ一人ひとりの生命は、絶大なる宇宙生命の極微の一分身といってよい。

  随って自己をかくあらしめる大宇宙意志によって課せられたこの地上的使命

  を果たすところに、人生の真意義はあるというべきだろう。』


                    森 信三


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背景の記憶(316)


 継母に子供が生まれて、世の通例通り、僕は孤立無援状態に陥った。

外面的には真面な家庭に見えたであろうが、実際は崩壊家庭と言ってよかった。

そしてまた必然的に僕の養子縁組話が頻発するようになった。叔父であり、叔母

であり、父と同じ勤務先の中学校の体育の先生であり・・・。

 しかし、父は頑強に拒否した。僕にその真意は分からなかったが、とにかく

父は拒否し続けたのだ。そんな混乱の渦の真っ只中で、僕のピエロ性は見事な

までに完成品へと突き進んで行った。そして数年後、自ら家を出るという結果

を迎えたのだ。よく<親戚のたらい回し>という話を聞くが、内容はともかく

として、それからの五年間で、僕はあちこちの親戚と関りを持たざるを得ない

結果となったのだ。そのほとんどが利用されただけのことだったのだが・・・。

 大学へ行けず(行かず)、世間という<荒波大学>に揉まれて、僕は履歴書

には書けない五年間を過ごすことになったのだ。

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『玉なれど 磨かざりせば もの成らん

            ひと学ばねば 牛も同然』


               日扇聖人


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背景の記憶(315)

     兄

 僕は六人兄弟の末っ子だったのだが、そのうち三人が幼くして亡くなっている

ので残されたのは兄(九つ違い)と姉(五つ違い)と末っ子の僕の三人だった。

母が亡くなった時、兄は中学生だったので、そのショックは想像を超えたものであ

っただろう。

 親の死が子供の精神に多大な影響を及ぼすことは理解できるが、その核心の部分

は当事者でなければ分からない。その計り知れない負荷が兄の精神に覆いかぶさ

り、兄は大学生の時とその数年後にもう一回、大量の服薬による自殺未遂事件を起

こしている。

 小学生だった僕は、兄の夜と昼が逆転したような日常に、ある種の怖れを抱いて

いた。本人にしてみれば、長い長いトンネルだったに違いない。大学病院での治療

も効果なく、半ば周囲から諦められたとき、兄は祖父母の住んでいた生まれ故郷で

ある隠岐の島に帰り、叔父がやっていた回漕店の仕事を手伝うことになった。今思

えば、その過酷とも言える肉体労働が、精神に大きな好影響をもたらしたようだ。

数年で兄は快癒し、やがて母方の親戚の世話で神奈川県へ移住した。

 今思えばの話だが、僕にも兄と類似した体験がある。高校の時の登校拒否であっ

たり、進学校でありながら大学受験を拒否し、父の入信した宗教であったとはい

え、そこの専従職員(宣教師)になったりと、親、親戚からすれば、「またこの子

もか・・・」」と思われたに違いない。

 幸い、死を選ぶことはなかったが、還暦の同窓会の時、当時の彼女から「オウム

の事件の時、絶対ワタナベ君がいると思った」と言われたのには驚いた。当時の

僕はそれほどまでに精神的異常を露呈していたのだろう。学年でトップ50のクラ

スに在籍していながら、受験しなかったのだから・・・。クラスメート八人が東大

に受かったと聞いたのは、何年か経ってからのことだった。僕は広島の地で、骨皮

筋衛門?でオロオロと歩きまわっていたのだ。

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背景の記憶(314)

    夜逃げ

YouCubeで「夜逃げ屋本舗」という映画を観た。中村雅俊と大竹しのぶが出ていた。

「夜逃げ」と聞いて思い出すことがある。

あれは・・・二十歳前のころ、宣教師の卵として、広島市の原爆ドームの近くに

アパート一間をあてがわれ、開拓布教なるものに投げ出された。まさに一文無し、

水道の水だけが命の綱?だった。それでなくても細身の体が、どんどんやせ細って

行った。一月ほど経ったある日、ある家族との出会いがあり、初の成功事例に辿り

つけたかという感じだった。

しかし急転直下、何回か目の訪問の日、奥さんから想像もしないことを頼まれた。

「わたなべ君、クルマの運転できるでしょ?今晩頼める?」何のことか理解できず

にいると、どんどんと部屋の片づけが始まり、引っ越し???そういうことかと

理解して、荷造りを手伝うことになってしまった。しかしなんとまた急に?と

怪訝な顔をした僕に、奥さんから、ご主人の事業が失敗して夜逃げをしなければな

らなくなったと告げられた。まだ幼稚園くらいの男の子もいた。

 まさに文字通り「夜逃げ」・・・暗くなるのを待って、必要最小限の荷物を載せ

て、言われるがまま車を走らせた。10キロくらい走っただろうか、目的の民家に

到着して、その晩は電気こたつに足を突っ込んで四人で雑魚寝した。

 事が事だけに、僕は何も言えなかった。暗闇の中で天井を見つめる奥さんの瞳に

光るものがあった・・・。

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優しい人

○あしたのために 生きるのではない

 今日を生きてこそ あしたが来る


○本当に優しい人とは

 耳の痛いことも言ってくれる人

 ただ優しい人と思われたい人は

 調子のいいことだけを言ってくる人

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ロック

ロックは始めることで、
ロールは続けることよ。

ロックは文句をたれることで、
ロールは自分のたれた文句に
責任をとることよ。

ロックは目の前の壁を壊すことで、
ロールは向かい風に立ち向かうことなんよ。

   重松 清 「せんせい」

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一流

三流は後回しにして

二流は明日やろうとし

一流は今すぐやる

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