政権ぼけした政治家たちは、「世界における日本の役割」とか「すべては国民のため」とか、もっともらしく言うけれど、そもそも何のための、誰のための政治なのでしょう?
あなた方の言う国民とは誰?
諸外国の国民性に比べれば、日本人は呆れるくらい大人しく我慢強い。
ちょっと過激な、あるいは口汚い表現でもしないと、マスコミも飛びつかない。でも、本音をぶちまけた・・・核心を突いた・・・若い世代の言葉には、拍手喝采を送りたい!よく言った!
国会議員・・・何やってんだよ!そんなこと(不倫,暴言、賄賂)してる暇があるんだったら○○しろよ!××作れよ!△△増やせよ!〜まったくな、君の言うとおりだよ。
一人では届かない。犬の遠吠え扱いで終りだ。拳を上げろ!手を繫げ!腕を組め!
僕たち世代も、後方支援は怠らない。何よりも・・・選挙には行こう!
おまえら若造にわかってたまるか!
・・・という面と
老いては子に従え
・・・的な部分と
場面場面で、心が揺れ動く
まだエネルギーがあると言えばあるだろう
反面、なにをカリカリしてんだ〜的な自嘲も湧いてくる
今夜・・・
坂道を歩きながら、両側に並ぶ住宅街のガレージにある車たちのメーカーや車名を当ててみる。
昔は、どの車にも個性があって、すぐに車名をあてることができたものだ。
まだ小学校に上がる前の甥っ子なんかは、対向車の名前を即座に当て続けて僕たち大人をびっくりさせたものだ。
今は、どの車を似たりよったりで、近づいてロゴを確認しないと当てることができない。どれもみな丸みを帯びた形状になってきているようだ。
時々、車好きの息子が、特異な車を見つけると「アレ何?」と聞く時がある。そのほとんどを僕は答えることができる。パブリカ、カローラ、コロナ、クラウン、スカイライン、セドリック、ベレット、117クーペ、アルシオーネ、キャロル、プレジデント、デボネア、ミラージュ、コスモ、シビック、アコード、・・・。
人間も一緒かな・・・。個性豊かな人物が少なくなってきたように思う。
私なんか、この世にいてもたいしたスペースはとっていない、そういうふうにいつでも思っていた。人間はいつ消えても、みんなやがてそれに慣れていく。それは本当だ。
でも、私のいなくなった光景を、その中で暮らしていく愛する人々を想像すると、どうしても涙が出た。
私の形をくりぬいただけの世の中なのに、どうしてだかうんと淋しく見える、たとえ短い間でも、やがて登場人物はいずれにしても時の彼方へみんな消え去ってしまうとしても、そのスペースがとても、大事なものみたいに輝いて見える。
まるで木々や太陽の光や道で会う猫みたいに、いとおしく見える。
そのことに私は愕然として、何回でも空を見上げた。体があって、ここにいて、空を見ている私。私のいる空間。
遠くに光る夕焼けみたいにきれいな、私の、一回しかないこの体に、宿っている命のことを。
「おかあさーん!」 よしもとばなな