「心の時代」と言われて久しいが、
もうそれは死語となってしまったのだろうか?
そして今は何の時代と呼ぶのだろう?
でも僕的には、時代、時代に「心の友」は現れる。
その人自身が気付いているか否かは問題ではない。
此方の過剰な思い込みもあるのかも知れない。
でも、相思だと分かった時は、何増倍もの歓びになる。
これは僕の変わらぬ習性なのだろうが、
いつも遠くから見ている。
距離の問題ではない。
心は、テレパシーは、
はるかな距離を凌ぎ時空を超えて突き刺さる。
それを実感、体感した時の歓びは、何物にも代えがたい。
ひとは僕を「掴み所のない奴」と言う。
それはむしろ僕にとっては褒め言葉だ。
個としての僕は、
唯一無二の個としての対象者が存在すれば、
それで大満足なのだから。
時代は巡る、回転軸が揺さぶられる。
手を繋ごう。
心の絆を離すまい。
やがてそれは相手の心に明確な明かりを灯す。

放送部の後輩の彼女は二学年下だった。
明るくハキハキと話す快活な子だったが、
たしか心臓に病を抱えていたと記憶している。
家も近所だった。
過去のブログ

真実を見せつけられて・・・
本心を言葉にされて・・・
傷つき悩むことが多々あった
そしてまた、逆の立場の自分もいた
僕が受け身の場合は、相手は皆優しすぎた
自らを悪者にして僕を庇った
でも、本当はそっちの方が辛いのだ
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
♪たとえくり返し何故と尋ねても
振り払え風のようにあざやかに
人はみな望む答えだけを
聞けるまで尋ね続けてしまうものだから
君よ永遠の嘘をついてくれ
いつまでもたねあかしをしないでくれ
永遠の嘘をついてくれ
出会わなければよかった人などないと笑ってくれ
君よ永遠の嘘をついてくれ
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

さすがに武器を持つというような実行動こそしませんが・・・
政治的にも、様々な組織活動の中でも、
ハートの上では、僕は「レジスタンス」的生き方です。
譲れないものは、トコトン譲れないという姿勢です。
対岸を99人が歩いていても、僕は1人でも此の岸を歩きます。
嫌いな言葉や仕組みは、「多数決」です。
いわば「ガリレオ」の心境です。
しかし・・・
同じような生き方に見えて、まったく異質な人もいます。
いわばただの「頑固者」です。
この類の人たちは度し難い。
僕はスルーします。衝突するだけ時間と労力の無駄です。
然るべき相手との闘いのための研鑽は怠りません。
模擬的闘争もやります。
・・・なんて書いてくると、危険人物のように思われそうですが
ただのやさぐれ爺です。
