空は抜けるように青く澄みきっている。
しかし、風は冷たく肌を刺す。
ジェット機が雲を引かずに、音だけを残して飛び去って行く。
たしかにあの雲の流れでは…と不確かな自説に納得してみせる。
ふとあの貿易センタービルの画面が蘇る。
突っ込むジェット機、立ち上る白煙…まるで無声映画のようなあの場面。
現場と傍観の冷酷極まりないコントラスト。
似たような事象が世界のあちこちで起きているというのに、なんと非情な客観視だ
ろう。
その意味においては、日本は平和であろう。しかし、惨禍のなかで見る彼らの夢や
希望には、僕らのそれはこれっぽっちも及はないはずだ。
どっちが人間的と言えるのか。どっちがまさに生きていると言えるのか。
詩的な感覚が政治的なきな臭さにおきかわり、戦場の子供たちの瞳に呼応して、
胸の中で流離い人の子守唄が流れる。

言葉の無力を感じる
言い方を替えれば・・・
言葉にしてしまうと真意が伝わらない気がする
では、どうすればいいのか?
黙って相手の瞳を見つめる
そっと後ろ姿に心の手を差し伸べる
その眼差しに心の言葉を感じ取ってもらえるだろうか?
「大変だね・・・辛いよね・・・頑張れよ・・・」
「いつも傍に僕がいるよ・・・」
よく、「自業自得」という言葉を耳にするが
たしかにそうなのかもしれない
だからと言って、突き放し傍観することは
僕にはできない
心的に「寄り添う」
それくらいしか、今の僕にはできない
人間の「老い」や「痴呆」という現実が
家族を、親族を、息子や娘を、その嫁や孫たちさえも
黒い渦の中に巻き込んでしまう
