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背景の記憶(258)

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京都の独身時代、僕は紅葉で有名な東福寺の近くの安アパートに住んでいた。

「いちご白書をもう一度」じゃないけれど

ヒッピーかぶれからの脱却の時期だったのかもしれない。

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背景の記憶(257)

二十歳のころ

六畳一間のアパートに有った物は

テーブル代わりの電気炬燵と

ボストンのレコードプレーヤー

シルビーバルタンの大きなポスター

そして寝袋

見に行った映画は

ローリングストーンズの「ギミーシェルター」

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背景の記憶(256)

二十代前半、英会話の先生

教室での授業よりも、課外授業が濃密だった。

恥ずかしがり屋で消極的な僕を

大改造してくれたのが、この先生だ。

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背景の記憶(255)

物心がついてから

「お父さん」と呼んだことがない

大きくなって

酒が入ると、たまに

「親父・・・」と呼んだ

逆に父も

「あきお」とは直接呼ばなかった

何かがその言葉を拒んでいたのかもしれない

<資格>のようなものだろうか

<喪失感>がそうさせていたのかもしれない

子供たちよりも

亡き妻に心が向いていたに違いない29.10.31-1.jpg

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背景の記憶(254)

母が亡くなってから一年後、父は隠岐島を離れて、本土・松江へ出た。

住まいは母方の祖母と叔父夫婦の家に間借りした。

この時、兄や姉も一緒だったのかどうか記憶にない。僕は四歳前だ。

父は一畑電鉄の北松江駅から二つか三つ西の長江小学校へ赴任した。

父が出勤するとき、寂しかったのだろう・・・僕は父を追いかけて二キロほど

泣きながら走った。

駅の手前で気づいた父は、何とか僕を返そうとしたが、泣き止まず座り込んで

しまったので、仕方なく僕を連れて出勤した。

今では考えられないことだが、時代もあり田舎でもあり、僕は職員室で

その日を過ごした。どの先生も優しかった記憶がある。29.11.7-1.jpg

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城下町

♪流れる雲よ 城山に
 のぼれば見える 君の家
 灯りが窓に ともるまで
 みつめていたっけ 逢いたくて
 ああ 青春の 思い出は
 わが ふるさとの 城下町

 白壁坂道 武家屋敷
 はじめてふれた 細い指
 ひとつちがいの きみだけど
 矢羽の袂が 可愛くて
 ああ 青春の 思い出は
 わが ふるさとの 城下町

 どこへも だれにも 嫁かないと
 誓ってくれた 君だもの
 故郷に 僕が 帰る日を
 待っておくれよ 天守閣
 ああ 青春の 思い出は
 わが ふるさとの 城下町

      ♪青春の城下町  梶  光夫


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松江城(千鳥城)

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背景の記憶(253)

真新しい家は

確かに存在していた

だが

そこに家庭は無かった

父の建てた家に

呼ばれた僕は

お客様の様に

叔父のカメラの前に立っている

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背景の記憶(251)

三十年前の父だ

柱にもたれ

膝を抱えて

顔を埋め

動かず

黙考していた


何を思い巡らしていたんだろう

足元には

紙と鉛筆が置かれていた

僕には読み取れない

文字が散らばっていた


ただ

「視姦」という一語だけが

読み取れて

心の片隅に引っかかった




小説の中の言葉なのか

現実の中のそれなのか

僕には判断しかねた


義母の入院先へ通う

父の心の動きに

薄ぼんやりとした

怖れを抱いた記憶がある


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背景の記憶(249)

これはずいぶんと後になって分かったことなんだが・・・

S先生は、姓が<柴田>で、旦那はなんと!当時超有名なロックバンド「村八分」

のヴォーカルだった。彼がアメリカを放浪していたころ知り合ったみたいだ。

当然ながら田舎者の僕には無縁の世界だったのだが、恰好だけはヒッピーまがいで

ローリングストーンズにかぶれていたのだから、知っていてもよさそうなものなの

だが、アンダーな世界だったのだろう・・・まったく知らなかった。

それに彼女もまったくそのことは言わなかったし・・・。

加えて・・・フォークへ移行する端境期でもあって、すれ違いのような世界だっ

た。

ギャップが織り成す人生模様

ひとは何処で誰に逢うかわからない。

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背景の記憶(248)

S先生はミセスとはいえ、僕と同世代だったわけなのだが

田舎出のぼんくらには、はるかに年上に見えた。

でも逆にアメリカ人の先生には、純粋無垢な青年と映ったのかもしれない。

肝心の英会話以外でも、たくさんのことを教えてもらった。

まさに手取り足取り・・・。

そこには、外国人そして女性という微妙なクッションがはたらいて

ちょっと危険な領域も、僕には鵜呑みに信じられる安心感があった。

それがまた、先生には意外であり新鮮であったのか・・・

急速に距離が縮まって行った。

スバル360でのドライブや、薄暗い喫茶店での課外授業や

プライベートルームでの微妙な関係や・・・

短期間ながら、なんと多くのことを学んだことだろう。

二十歳前の僕を知る人間からすれば、まさに別人と見えたことだろう。

一方先生は、日本的な原石を刻み磨く喜びを持ったのかもしれない。

今になって思えば・・・の話である。

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