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返詩

・・・前を見て・・・

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返詩

さて、あの頃の<華音さん>は、今どうしているのでしょう?

・・・こころは駆けて・・・
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返詩

WEB上の彼女に詩を送り、返詩を貰うのが楽しかった。

俳句や短歌では出せない、ちょっとした自由空間に遊んでいたのかも知れない。

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憐れ

自分を見つめる

もうひとりの自分を持てない人は

厳しいようだが、人生の失格者だ

「ごめんなさい」や「すみません」は

その場しのぎの軽い逃げ言葉にすぎない

己の本質を見つめる厳しい眼が持てたなら

簡単には呆けたりはしない

過去に積み重ねた罪業が、忘れた頃に表面化してくる

そして、それさえも自覚できなくなっている

哀れ、憐れ

予防とは、今を鋭敏に、前向きに、快活に生きることだ

そしてまた、「人のふり見て我がふり直せ」だな




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背景の記憶(297)

  知能と学歴

 僕の最終学歴は一応高卒とはなっているが、実際は高校中退が正解だと、今でも思っている。教師の父親の勤務先と同じ中学校に在籍し、窮屈極まりない三年間を過ごした。先生方や生徒たち双方の興味と注目の的で、いい加減な成績は残せなかった。10クラス500人の一学年。委員長、副委員長 × 10 で、二十番以内が認定位という暗黙のプレッシャーの中で過ごした三年間だった。特に進学を前にした三年生の時は、テストの成績上位者が廊下に張り出されたので、さらに圧力を受けざるを得なかった。

 高校受験は僕が希望した工業高校・建築科の受験はなぜか拒否(?)され、普通高校の受験となった。しかも県下で1,2を争う進学校。受験後間もなく、教師の特権と言おうか、公式発表の前に父から結果成績を告げられた。九科目800点満点で、750点台だったと言われた。然したる感慨もなく、親の面子は保たれたか・・ぐらいの感想だった。

 高校生活は、一年生の時が唯一楽しかった。父から離れられた解放感と、バスケットに打ち込める喜びで一杯だった。しかし、どこからどう漏れるのかクラスメートからは、「渡部君、ここ教えて・・・」という立場が待っていた。これにはさすがの僕も参った。僕には本当の意味での真面な学力などなかったのである。中学校の勉強は基本中の基本。それがひとよりちょっと勝っていたという程度に過ぎない。

 高校二年になって、さらに追い打ちがかけられた。校内でも超有名なスパルタ教師が担任となり、みんなは大学受験一直線の体勢に入って行った。僕はと言えば、健康診断で不整脈が見つかり、バスケは退部を余儀なくされた。そこへもってきて家庭内でのごたごたがあって、僕は父母の信仰していた宗教の施設へ入ることとなった。経緯は兎も角、勉学に打ち込める生活ではなくなってしまったのである。

 三年生への進級を前にしたころ、熱血先生に職員室へ呼ばれた。「お前はどういうわけか入学試験の成績が良くて、今、辛うじてトップ50にぶら下がっている。このままでは微妙な位置だ。どうする?国公立志望で行くのか!?」僕は自棄になったわけでは無く「就職します」と言ったら「この学校には就職コースは無い!」と周りの先生方がびっくりするくらいの大声で怒鳴られた。「では、私立文科系でお願いします。」「それでは2ランクも下のコースだぞ。耐えられるのか!?」
「はい、それで結構です」

 三年生になると、実際周りからは好奇の目で見られた。「なんでアイツが・・・というわけである。しかし、他方で教え込まれた宗教的思索がそれを凌駕し、なんとも感じないようになっていった。今思えば強烈なマインドコントロール下にあったわけだが、心の比重が逆転すれば、世の中のすべての事象が逆転して考えられたわけである。

 元同レベルの賢者たちは東大合格者が二桁に迫り、ほとんどが国公立へ受かった。僕は父親の強いた大学の試験は白紙答案で意思表示をし、宗教施設で、布教師の卵として出発を期したのだった。

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背景の記憶(296)

 19歳の夏

 原爆ドームを川向うに見る四畳半のアパートで暮らした。台所もトイレも共同。

もちろん風呂などない。僕の中には、極貧とかひもじいとか云うような意識は全く

無かった。反対に修行とか鍛錬とか云うような高尚な意識も無かった。ごく当たり

前のこととして受け止めていた。

 まさに原爆投下の八月、水ばかりを飲んで暮らした。木陰をクーラーのように感

じ、三十円のアイスキャンディーが宝石のように思えた。陽炎の揺らめく電車道を

夢遊病者のように歩き。キラキラと輝く太田川の川面に引き込まれるような錯覚を

覚えた。電車賃もバス代も無い、ひたすら歩くのみ。流れた汗が拭く間もなく塩と

なった。

 そんなある日、父から小包が届いた。開けると白米と舐め味噌だった。まさに

天の恵み!・・・生き返った!あのままでは野垂れ死にしていただろう19歳の夏。
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もう一人の自分

あたかも十八の若者になったかのような

眼差しの自分がいる

そして、厚かましくも

語り掛けようとする衝動に駆られる自分がいる

引っ込み思案で

臆病者で・・・

そんな自分への後悔か

リベンジか

君はまぶしい

君は爽やかだ

君は・・・君は・・・

そして、僕はこんな思いに至る

あの時、思いのままに行動に移していたのなら・・・

自制とは何なのか

抑制とは何のため

後悔とはちょっと違う

もう一人の自分がいる

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青の時代

「ナベちゃん、負け残ってるな〜」と、半ばからかい気味に言われる僕ですが、

たしかに的を射た言葉なわけで、自嘲気味に笑いを返すだけの僕なのです。

花村萬月の自伝的小説「百万遍 青の時代」の主人公(惟朔)の中に自分を重ね合

わせる僕がいる。暴力や過度の性的体験以外は、その内容がまさに酷似している。

家出、宗教施設、寝袋、ジーパン、長髪、ゴミのような寝場所、バイト(大丸)、

音楽喫茶店、ロックバンド「村八分」、異性との接点・視点・母性、、、を殊更に

避けた感じは否めないが、実際はほぼ酷似している。

 僕の場合は、殊更にさらりと客観視したところがあり過ぎる。と言うよりは、自

分をよく見せたいという飾る意識が強すぎるのだろう。本質を逃げていると言われ

ても弁解のしようがない。要は焦点の当てどころ、ズームアップの度合いの問題な

のだろう。少しの文才めいたものがあれば、それなりの自伝小説が書けたかもしれ

ない。そんな幼少期から青春時代への二十数年である。


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心の深呼吸

病的と思えるくらいに、キーボードをたたく。

これは昔の父の、わら半紙への殴り書きと似ている。

習性と言えば習性…

母の死んだ夜でさえ、ペンを持ったのだから…

特定の誰かに対してではなく、強いて言えば

己に向かって、言葉を投げ掛ける。

そうでもしないと、内部爆発する想念の沸き上がり。

魂のガス抜き。

心の深呼吸。

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朝焼け

色鮮やかな朝焼け

夜空の星たちとは違って

僕は何を祈りましょう

僕は何を託しましょう

少なくとも前を見て

必ずや上を目指して

蒼色に吸い込まれる前に

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