19歳の夏
原爆ドームを川向うに見る四畳半のアパートで暮らした。台所もトイレも共同。
もちろん風呂などない。僕の中には、極貧とかひもじいとか云うような意識は全く
無かった。反対に修行とか鍛錬とか云うような高尚な意識も無かった。ごく当たり
前のこととして受け止めていた。
まさに原爆投下の八月、水ばかりを飲んで暮らした。木陰をクーラーのように感
じ、三十円のアイスキャンディーが宝石のように思えた。陽炎の揺らめく電車道を
夢遊病者のように歩き。キラキラと輝く太田川の川面に引き込まれるような錯覚を
覚えた。電車賃もバス代も無い、ひたすら歩くのみ。流れた汗が拭く間もなく塩と
なった。
そんなある日、父から小包が届いた。開けると白米と舐め味噌だった。まさに
天の恵み!・・・生き返った!あのままでは野垂れ死にしていただろう19歳の夏。