ごく若いころから、私は家族が嫌いだった。
運命共同体が嫌いだった。自分の人生に共同体の象徴である家族が
絡みついてくることが我慢できなかった。
【小池真理子「沈黙のひと」】
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青年は荒野をめざせ。
共同体や絆に人気のない時代だった。
しがらみからの脱出がかっこよく、
家族はカッコ悪かった。
自分で選んだ友人や恋人の方が大切だった。
【持田叙子.解説者】
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本の中身や解説者の言葉が、我が身のことのように甦る。
ことの内容の違いこそあれ、心の揺れ動きは全てと言っていいくらい
酷似していた。そういう時代性と言ってしまえばそれまでのことだが…。
作中の父は、僕の父を連想させる。死別や離婚の違いこそあれ、
それらが因で引き起こされた【流転】は【事実は小説より奇なり】だ。
息子と娘の違いはあっても、子どもとしての立場と感慨は酷似している。
超えて行けそこを!超えてそれを!
「今はまだ人生を語らず」とは言っておられない。
もう自分自身が、それを語られる年齢になってしまった。
石原慎太郎てはないが、「自分と妻の死後、表に出してくれ」という
事柄が少なからずあった人生である。そしてまた、それらの事は、
直接表現ではなく、簿かしたり抽象化したりして表現するしかなかった。