死後

ごく若いころから、私は家族が嫌いだった。

運命共同体が嫌いだった。自分の人生に共同体の象徴である家族が

絡みついてくることが我慢できなかった。

              【小池真理子「沈黙のひと」】

……………………………………………………………………………………………………………………………………

青年は荒野をめざせ。

共同体や絆に人気のない時代だった。

しがらみからの脱出がかっこよく、

家族はカッコ悪かった。

自分で選んだ友人や恋人の方が大切だった。


          【持田叙子.解説者】


……………………………………………………………………………………………………

本の中身や解説者の言葉が、我が身のことのように甦る。

ことの内容の違いこそあれ、心の揺れ動きは全てと言っていいくらい

酷似していた。そういう時代性と言ってしまえばそれまでのことだが…。

作中の父は、僕の父を連想させる。死別や離婚の違いこそあれ、

それらが因で引き起こされた【流転】は【事実は小説より奇なり】だ。

息子と娘の違いはあっても、子どもとしての立場と感慨は酷似している。

超えて行けそこを!超えてそれを!

「今はまだ人生を語らず」とは言っておられない。

もう自分自身が、それを語られる年齢になってしまった。

石原慎太郎てはないが、「自分と妻の死後、表に出してくれ」という

事柄が少なからずあった人生である。そしてまた、それらの事は、

直接表現ではなく、簿かしたり抽象化したりして表現するしかなかった。

posted by わたなべあきお | - | -

▲page top