平等が理想であることをやめて日常茶飯の現実になりおおせてしまうと、
むしろ平等のなかでの退屈や焦燥感がいや増してしまう。その病理を日本も
また経験するに至っている。
個性においても能力においても、不平等を背負って生きるのが人間の根本条件である。
人間の自由というものに意味が宿るとしたら、自分という人間あるいは自分たちの
国家が背負った不平等をむしろ宿命として引き受けて、その宿命といかに戦うか、
その戦いの密度こそが、自由に意味を与えるのだ。
【西部 邁】
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理想郷が到達点であるかも知れないが、それよりもむしろ
其処に至る過程の葛藤や献身の中こそに、人間の幸福度は
含有されているのではなかろうか。
民主主義であれ共産主義であれ、到達目標点が人間の幸せで
あるのなら、もうその過程の闘いの中にこそ、真の幸福感は
宿っているのではなかろうか?