釧路の女(ひと)

いわゆるブログが流行り始めた頃、僕たちは<ともだち>となった。

場所は<ライブドア>で、その斬新さは当時群を抜いていた。

確か彼女のハンドルネームは<keyring>だったと記憶している。

釧路と書いたが、生まれ育ちがそうであり、当時は岩手県に住んでいた。

既婚者だったのだが、旦那が<無精子症>と言うことで、悩んでいた。

親からも「子供はまだ?」と責められ、かと言って旦那にきつく当たる訳にも

いかず、独りで悩んでいた。そんな心の拠り所がブログの世界だったのだろう。

そして僕のブログとの出会いがあり、急速にその中身は深まって行った。


彼女は洗練された感性の持ち主だった。

意外性を持ちながらも、その内容は至極的確だった。

当時の僕の仕事上の悩みなどを打ち明けると、何ともポジティブな言葉で

僕を励ましてくれた。「前が見えない?回れ右!してみれば。ほら違う世界が

見えるでしょう!」てな具合だ。


当の本人は結局離婚した。そして故郷ではなく札幌へ移住した。

新たな分野の勉強を始めたのだ。資産家である親の会社に戻る前に物心両面で

スキルアップを計るつもりのようだった。


そんな彼女がなんとも意外な行動にでたことがあった。

それは写メールが送られてきて、そこには夜の街のタワーが写っていた。

「何処のタワーでしょう?」

札幌?横浜?・・・せいぜい関東圏までしかのイメージしかなかった。

所がそれは実は京都タワーだったのだ。急ぎ連絡を試みたが、それは一日後れの

画像だった。更に驚かされたのは、彼女は僕の故郷・松江に移動し、更には生まれ

故郷・隠岐の島へと旅を進めていたのだ。


彼女が僕のブログの中身をすべて読み通して、確実なイメージを作り上げ、

その実証の旅を試みたようであった。これにはホントに驚かされた。

ある意味、人間としての節度を保ち、その微妙な距離感の中で、最大限に人間同士

の絆を結ぼうとした彼女に、僕は感服したのだった。

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posted by わたなべあきお | comments (0) | trackbacks (0)

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