脱出は自分本意に考えれば、勇気であり、挑戦であり、希望である。しかし、他方を考えれば、裏切りであり、非礼であり、侮辱である。僕はそれを
何度繰り返して来たんだろう。今回のこれは、愛の逃避行と言えば小説じみているが、自分のことでありながら、何処か他人事のようなところが、心の奥底で渦巻いている。もう一人の自分が、その主体性の無さを糾弾しているのだ。「おまえは「二者択一の時、苦しい方を、厳しい方を、選んできたんじゃないのか!…と。
昨晩の長考の原因は唯一そこにあったのたが、今回だけは、そのまた先の自分への挑戦に賭けたという点に、比重を置いている。些か言い訳じみてはいるが、先が見えないことには変わりはない。
ふと、藤圭子の「京都から博多まで」を心の中で歌ってみる。彼女はこの逆を実行に移したわけだ。またもう一つ、北島三郎の「博多の女」が甦る。「ひとの妻とも知らないで、俺は来たんだ博多のまちへ 逢わなきゃよかった 逢わないで 胸に生きてる初恋の 君をこの手で抱いていたかった…」なんとも現実とは裏腹な否定的な文言が並ぶことか…
そんな僕の心を知る由もなく、相変わらず彼女の横顔は、安心と自信に溢れた顔をしている。